詩を生み出す表現

橋本陽介の『「文」とは何か―愉しい日本語文法のはなし』を読むと、文法的に考えることの面白さをあらためて教えられる。僕が特に興味を持ったのは、次のようなところだ。

TGVでいらしたのですか」と接待係は聞き、ぼくは頷いた。ミシェル・ウエルベック服従』)

筆者は、この文が「ちょっと詩的な感じ」がするのはなぜか、と問い、その理由を考えるために、次の四つの文を例に挙げる。

(牧場で)①馬は走り、鳥は飛んだ。
②馬が走って、鳥が飛んだ。
③馬が走ると、鳥が飛んだ。
④馬が走ったので、鳥が飛んだ。

①は馬と鳥の動作が並列されていて、二つの動作の間に因果関係はない。
②だと、馬が走ったことによって鳥が飛んだ、という読みが強まり、③は、さらにその読みが強まる。④では因果関係が明確に示されている。

TGVでいらしたのですか」と接待係は聞き、ぼくは頷いた。

において、二つの動作は「馬は走り、鳥は飛んだ」のように無関係ではない。

だから、現代日本語の規範的な書き方では、「接待係が聞いたので、僕は頷いた」のように、論理的関係を明示することが普通なはずだ。
さらに言えば、「接待係りは聞き」と「は」が使われているから、これは従属節になっていない。互いに関係する二つの動作のはずなのに、無関係なものとして並列する形式が選択されている。だからこの文は、ちょっと詩的な感じがするのである。

なるほど。因果関係のある二つの出来事を、あえて因果関係を断ち切って並べたところに詩が生まれている。