小説の豊かさ

前回、「小説の豊かさ」という言葉が出てきましたが、このことに触れてもう一つの作品を取り上げたいと思います。
小川国夫「物と心」
濃密な情感を湛えて魅力的なこの掌編を初めて読んだときのことを、僕ははっきりと覚えています。大学に入学して間もない頃です。僕の高校時代の恩師がM社から現代文の参考書を出すことになり、その手伝いを頼まれたのですが、そのとき恩師から渡された資料(入試問題のコピー)の中に「物と心」があったのです。
僕の本棚にある小川国夫の本は、この「物と心」の収められた『生のさ中に』のほかに、アポロンの島』一房の葡萄『漂泊視界』(いずれも角川文庫)の4冊です。恩師から渡された資料が小川国夫を知るきっかけになったのだったかどうだか、そのあたりの記憶はもう曖昧ですが、これらの作品が大学生だった僕に強い印象を刻んだことは確かです。

池田満寿夫の装丁。いい感じですね。もちろん、とっくに絶版になっています。)
この「物と心」はときどき高校の国語の教科書にも採用されるようで、08年度用の「現代文」の教科書見本の中にもこの作品を収録しているのがあります。(今は教科書選定の季節です。)
どの教科書にも本文に続いて「学習の手引き」という欄があって、作品の理解を促すようになっていますが、この教科書にも「物と心」の本文の次に、

「浩は自分の小刀で掌を切って、宗一に見せるようにした。」とあるが、なぜこういう行動をとったのか、考えてみよう。

という課題があります。
鉄のスクラップの中から持ち帰った錆びた小刀を兄弟でといでいるのですが、「丸刃」にといでとりかえしがつかなくなってしまった弟の浩は、隣でとぐことに耽っている兄の宗一のことが意識されてならず、上のような行動をとってしまうのです。この浩の行動の背後にある心理を考えさせるためにこの作品が教科書に採られているといってもいいくらい、ここはこの作品のかなめの部分なのですが、この心理はひとことで言い尽くせるような単純なものではありません。僕はまだこの作品を授業で取り上げたことがありませんが、ここでの浩の心理について、生徒の意見を引き出すのはなかなか難しいような気がします。かといって、こうした部分を、選択肢の中から選ばせるような問題で片付けてしまうと、作品の読みがやせ細ってしまいます。
ところが実際、過去には次のような大学入試問題があったのです。

浩が自分の掌を傷つけたのはどういう気持からか。左記各項の中から最も適当なもの一つを選び、番号で答えよ。
(1) 掌を切ることによって、自分の小刀がよく切れることを兄に誇示したかったから。
(2) 小刀を上手にとぎあげた兄が羨ましくなり、とぐことを中途で止めさせたかったから。
(3) 自分とはうらはらにとぐことに没頭している兄の関心を、自分にひきつけたかったから。
(4) 自分は小刀を丸歯にといでしまったのに、兄の小刀はよく切れるように思えたから。
(5) 兄が憎らしくなり、自分の掌を傷つけて復讐してやろうと考えたから。」

答え (3)

実はこの問題は、僕がお手伝いした参考書に例題として載っているのです。ですからもう30年以上も前のものですが、入試問題の中にはしばしば見られるタイプの問題です。こうした設問が、入試問題として不適格であるとはいいませんが、「小説の豊かさ」を前提としたならば、やはりいろいろな答えを許容できるような出題の仕方が好ましいとはいえるでしょう。