小説のテーマ

書きあぐねている人のための小説入門

書きあぐねている人のための小説入門

書きあぐねているわけではないんだけど…
だって、まだ書こうとしたことさえないんだから。
でも、小説家を目指しているわけではないけれども小説の読み方を教えることも仕事の一つである僕にとっては、この本から得た収穫は少なくありませんでした。たとえば次のような箇所。

小説というのは本質的に「読む時間」、現在進行形の「読む時間」の中にしかないというのが私の小説観であって、テーマというのは読み終わったあとに便宜的に整理する作品の一側面にすぎない。

これを書き手の側から言えば、

テーマのようなものを事前に設定してしまったら、作品の持つ自在な(融通無碍な)運動を妨げることになってしまう。

ということになります。
ここで最近授業で読んだばかりの「山月記」の話しになるのですが、使っている教科書に準拠して作られた自習用の課題帳に次のような設問があるのを見つけました。

この小説のテーマとしてふさわしくないものを、次の文中から選びなさい。
  ア 人間存在の不確かさ
  イ 変身・怪異の恐怖
  ウ 自我意識の苦悩
  エ 芸術至上主義
  オ 自己中心性

さて困ったことに、僕にはこの中のどれが「山月記」のテーマとしては「ふさわしくない」のか、自信を持って答えることができないのです。読みようによっては、どの選択肢もテーマになり得るように思えてしまうのですが、どうなんでしょう。
この手の設問は、大学入試問題などでもときどき見かけますが、仮に答えが明確に出たとしても、作品の読み方を狭い枠の中に閉じ込めてしまうと言う点で、好ましい問題とはいえないと思います。(上の問題は、テーマが複数ありえることを示唆している点で、まだましな方かもしれません。)
保坂和志はテーマに関して次のようにも言います。

学校の授業というのは、成長期にいろいろな型の思考力を養うトレーニングのシステムだから、その一環として、小説を読んでテーマという一側面を考えることは無駄ではないけれど、「小説の豊かさ」というのは、テーマのような簡潔で理知的な言葉で語れば足りるものではなく、繁茂する緑の葉に木の幹や枝が隠されていくように、簡潔な言葉で説明できる要素が、次から次へと連なる細部によって奥へ奥へと退いていくところにある(この「小説の豊かさ」というのは、ひじょうに大事なことです)。
斜体部は原文では傍点

上に言う「小説の豊かさ」を、僕も小説を教室で読むときにいつも念頭に置いておくようにしているのですが、教壇で教師がひとりでしゃべっているような授業では、この豊かさは損なわれてしまいがちです。せっかくたくさんの生徒がいるのだから、この豊かさが生徒達によって引き出されることが理想です。もちろん、理想どおりに授業が進むことはなかなか難しいのですが…
実は、「山月記」で検索してこのブログにたどり着く人が最近すごく多いんです。もちろん、ここにはロクなことが書いてないから、皆さん数秒で他のサイトへ移っていってしまうのですが、おそらく「山月記」の授業で苦労して、授業のヒントを得ようとネット上をあれこれ探索している先生がたくさんいるんでしょうね。
小説を教えるためには、本当は自分でも小説を書いてみることがきっと役に立つのだと思いますが、そこまでしなくても、『書きあぐねている人のための小説入門』のような本を読んで、書く立場に立って小説について考えてみるというのも有意義なのではないでしょうか。