- 作者: 苅谷剛彦,増田ユリヤ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/11/17
- メディア: 新書
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・英語を小学校で教えるか、否か
・「総合的な学習」導入にかかわる問題点
・「教育改革」議論に欠けているもの
・絶対評価か相対評価か
・多過ぎる課題を背負わされている学校…
そして、あらためて線を引いた所(ほとんどが苅谷剛彦氏の発言)を読み直してみると、至極当然のことだよなあと思う箇所ばかりです。
いくら制度を変えても、解決できない教育の問題はたくさんある。それは、制度改革がうまくいかないからではなく、そもそも問題の原因が制度の側にない場合にも改革が実行されるからである。
子ども一人ひとりに目をかけることを必要とする教育を求めておいて、そのための条件整備にはお金を出さない。時間的余裕も与えない。それでも、「自ら学び、考える力」の教育が大切だというのは、欲ばり過ぎというほかない。
「制度」を見直す前に現状を正しく把握し、「改革」によってもたらされるものとこぼれ落ちるものは何なのか、また「改革」に伴うコストはどのくらいなのかを検証するのは当然のことなのに、それをやらない。だから、「改革」は迷走を続けるばかりだと苅谷氏は言います。(僕はどこかの県の高校入試制度の「改革」を思い出してしまいました。さんざんいじくりまわして子供と保護者を惑わせ、さて、どこが良くなったのかというと、それがどうもよくわからない。昔のままでよかったんじゃないかと言う声さえ聞こえる。確かなのは高校の教員の負担が増えたということだけ…)
現状把握という点では、「指導要録」の改定に関わる次の発言はなるほどと思って読みました。
詰め込み教育をやめさせるためには、評価の枠組み自体を変えて、教師たちが自分たちの授業をそれにあてはめざるをえないようにする。…それが指導要録(学習評価の枠組み)の改訂を通して広めようとした、「新しい学力観」だったんですよ。
…
だから、もともとは授業法の議論だったんじゃない。評価論から入ってしまった。誤解もいっぱいあったし、しかも強制されているから、一挙に変えようとしたら、いろんな問題が出てきた。
確かに我々はこうした「問題」の渦中にいるのに、周りを落ち着いて眺める余裕も奪われているから、その問題の根っこがどこにあるのかもわからず悪戦苦闘している。その問題の根っこを苅谷氏は鋭く指摘してくれているのです。
次の発言も、現状認識としてなかなか面白い点を突いていると思いました。
(絶対評価の基準の存在する欧米と比べて日本の場合は)中学卒業試験みたいなものをつくって義務教育の達成水準をはかったら、その水準に達しない子が二割、三割は出てくることになるとすると、そんなことでその子をキズつけるのはよくないと考える。それよりは、そういう子たちも含めて、ほとんどの子どもを高校に行かせて、高校三年間くらいで、まあ何とか、中学校プラスアルファくらいのレベルまで、知らないうちに追いついてくれば、キズつく子も少ない、というふうになっているんではないですか。
増田ユリヤ氏が取材したフィンランド(PISA調査で世界一になった)の教育事情を、日本の教育を相対化する視座として据えながら論じているのがこの本の興味深い点なのですが、欧米と比べながら日本の負の部分ばかりを抉り出す、という単純な議論にはなっていません。上の引用箇所からもわかるように、「心情的にやさしい」日本のシステムの良さも押さえつつ、現実に根を下ろした議論が繰り広げられるのです。
日本の教育が「改革」という掛け声に踊らされてその針路を誤らないためには、苅谷氏の発言のような、的確に現状を把握した上での問題提起に多くの人が耳を傾けるべきだと思います。
…というわけで、連休だと言うのにしっかり勉強してしまいました。今日は『検定絶対不合格教科書 古文』(田中貴子)と言う本を読み始めました。これも面白そうですよ。