現代の文語

『俳句界』では今年の4月号より、松田ひろむ氏による「文法の散歩道」という連載が続いています。9月号、10月号では二回連続で「助動詞『き』をめぐって」と題し、主に『日本語を知らない俳人たち』(池田俊二著)の中の文語助動詞「き」の用法に関する見解について批判しています。僕には首を傾げざるを得ない箇所がいくつか見つかり、その中の一点ついてはこのブログの10月4日の記事私見を述べました。
そして『俳句界』最新号には、松田氏の批判に対する池田俊二氏の反論(一般読者向けの雑誌の記事としてはかなり長文です)が載りました(「松田ひろむさんへの疑問 『し』に完了用法!? 為忠の歌にあるから?」)。言わば、日本語文法をめぐる誌上討論のような形になってきたわけですが、どうも僕にはどちらの言い分にもしっくりしない部分を感じてしまうのです。
両者の争点は必ずしも一点に絞られず、議論は錯綜した感があります。しかし、あえて単純化してしまえば、文語助動詞の「き」に「過去回想」以外の意味を認めるのか認めないのかという議論、ということになりそうです。
具体例を挙げてみましょう。


万歳の乗りし竹屋の渡舟かな  虚子


上のような「し」(「き」の連体形)の用法を「正」とするのが松田氏。「誤」とするのが池田氏です。
松田氏が「正」とする根拠は、「き」には平安末期以降の用法として、「動作が完了して、その結果が存続している意を表わす」(旺文社全訳古語辞典)というのがある、というものです。つまり、上の例では「万歳が乗っている」という解釈が成り立つ、ということです。*1
一方池田氏は、「き」は「完了」「存続」あるいは「存在」などの現在に及ぶものに使ってはいけない、用例があってもそれは誤用である、という立場を貫いています。
さて、この議論についての僕なりの考えも、10月4日の記事で書いたこととほとんど重なるのですが、それを繰り返す前に、今日『国文法ちかみち』(小西甚一著)*2の中に次のような記述を見つけましたので、少々長くなりますが引用します。文法について考える際に非常に大事なことが書かれていると思いますので。

 ことばというものは、時代によって変わってゆく。これは、何人も否定できない事実である。だから、十世紀・十一世紀の文法で八世紀ごろの作品を理解しようというのは、そうとう無理であり、十八世紀ごろの作品に当てはめようというのは、もっと無理である。源氏物語がうまく解釈できたからといって、その文法で徒然草がすっかり割り切れると限らないのは、むしろ当然であろう。まして、「き」と「けり」の使い分けを憶えたからというわけで、


ひそかに思ふに、世にあるほどの願ひ、何によらず、銀得にてかなはざること、天が下に五つあり。それより外はなかりき。これにましたる宝船のあるべきや。(日本永代蔵・一ノ一)
世上に金銀の取りやりには、預り手形に請判、たしかに何時なりとも御用次第と相さだめしことさへ、その約束をのばし、出入になることなりしに、空さだめなき雲を印の契約をたがへず、その日切に損徳をかまはず売買せしは、扶桑第一の大商人の心も大腹中にして、それ程の世を渡るなる。(日本永代蔵・一ノ三)


などの「き」(し)を経験回想で解釈しようと頑ばるにいたっては、ナンセンス以外の何ものでもない。この「き」は、西鶴がよく使う語法で、習慣的な事実や動かない道理をあらわす。「それより外はなかりき」は「それ以外にはないというものだ」、「相さだめしこと」は、「とり決めたりすること」、「出入になることなりしに」は「もめ事になったりするものなのに」、「売買せしは」は「売り買いするものであるのは」など訳するところ。回想とか過去とかには関係がない。
 十世紀・十一世紀ごろの文法で十七世紀の小説を割り切ろうとすることがどんなに無理であるかは、もう疑おうというお方もあるまい。
(179ページ)


いわゆる古典語の文法は、京都や奈良を中心とする地方の、上流の、女性語を主とした、十世紀から十一世紀ごろの、和文とよばれる文体の、書きことばにだけ、安心して当てはめることができるのだという「限界」が、はっきりしてくる。この限界を知っていることは、たいへん重要である。いわゆる「古典語」の限界さえ心得ておれば、平家物語に出てくる「き」「けり」まで経験回想と伝承回想で解釈しようとするようなヘマはやらないですむ。(181ページ)

そう、ことば・文法というものは、「時代によって変わってゆく。これは、何人も否定できない事実」なのです。上の西鶴の「き」の用法を、10、11世紀の文法に当てはめれば、明らかに「誤用」でしょう。しかし、だからといって西鶴のこの作品は文法的に問題があるからけしからん! ということになるでしょうか。奇しくも池田氏は、『徒然草』『枕草子』『源氏物語』の三冊を読み、「き」「し」が100パーセント、自身の体験として見聞した過去の事実について述べるために使われていたことを確認した、「完了存続」の用法は一つもなかった、と述べておられます。このことはまさに、ことばというものが、その時代の中でその時代特有の様相を示すことの確かな証左となっていると言えましょう。



さて、問題は、我々があえて文語によって俳句を作ろうとする場合、その俳句は平安の時代のいわゆる「古典文法」に正しくのっとって書かれなければならないものなのか、ということです。別の言い方をすれば、我々の時代の文語、とりわけ俳句(あるいは短歌等をも含めた短詩形文学)に用いられる文語はどうあるべきか、ということです。小西甚一は次のようにも言っています。

文語と口語とは切り離されているわけではない。どの時代の文語だって、口語に基づいている。口語が変われば、文語もそれにつれて変わってゆく。(180ページ)

つまり、どの時代にもその時代の口語があり、それにつられて変化していく文語がある。(もちろん文語が口語に影響する場合もあるでしょうが。)我々の時代には我々の時代の文語があって当然ということです。もちろん、「自分は平安時代の由緒正しい文語文法から一歩もはみ出さずに俳句を作るんだ」という俳人がいてもいいでしょう。実際いるかもしれません。兼好法師だってそういう意識であの『徒然草』を書いたわけですから。
しかし一方で、現代の文語のあるべき姿を模索しつつ現代を詠むという作句態度もまた決して否定されてはならないでしょう。*3そもそも俳句に限らず、ことばによる作品を作り出すことは、その時代のことばを生み出すことと表裏の関係にあるはずです。そういう意識のもとで生まれた俳句であるならば(端的に言ってしまえば、すぐれた作品と認められる俳句ならば)、それを過去のある特定の時代の文法に当てはめて、正しいとか誤りであるとか論じるのはあまり建設的な議論には発展していかないように思うのです。
ことばは生きているのですから。そして、文法もまた。


■追記(11/5)
「週刊俳句」というブログの最新記事の中の一つ(『俳句界』2007年11月号を読む ……五十嵐秀彦)でもこの問題に触れています。

*1:実際は松田氏は、動詞を「継続動詞」「瞬間動詞」に分け、それらとの関係などにも意を配って、個々の用例の正誤を判定していますが、ややこしい話になりますのでここではあえて触れません。

*2:僕が大学受験生だったころ、お世話になった本です。国語の教師になった僕にはいまだに捨てられない本です。

*3:もちろん、世間には単なる文法に対する無理解あるいは無頓着から生まれた「似非文語俳句」が多数存在していますが、それらについてはっきりと誤りを指摘するのは指導者の仕事でしょう。今回の「き」の問題は、それとは次元が異なります。