元祖、自転車少年

昨日の記事で触れた志賀直哉「自転車」という随筆は、勤めている学校の図書室にありました。
現代日本文学大系』(筑摩書房)の志賀直哉の巻に入っていたのです。

私は十三の時から五六年の間、殆ど自転車気違ひといつてもいい程によく自転車を乗廻はしてゐた。

10円あれば1ヶ月生活できた時代に、160円の「デイトン」という自転車を祖父に買ってもらい、東京横浜間などは数え切れないほど往復し、千葉や江の島まで遠乗りすることもあったということです。高級車とはいえ、変速機のない自転車での遠出は大変だったはずです。道だって今のように舗装されている所はほとんどなかっただろうし。途中で道を横切る家鴨に乗り上げて転倒したり、道ですれ違う自転車があると、わざわざ引き返して並んで走って競走したり、競走を挑まれたけれども勝ち目のない相手の自転車をわざと倒して逃げたり、やることはなかなか豪快というか、かなり荒っぽい。こんなエピソードも書かれています。

ある時、――この時はもう夕方だつた。川崎の町はづれへさしかかつた時、私は前を横切る四つ位の男の児に驚いて、急いでとびおりたが、惰性で二三歩進むと、前輪で男の児を仰向様に突き倒した。裾が下腹までまくれ、小さな尖つたチンポコが露はれると、子供は泣きもせずに噴水のやうに一尺程の高さに小便をした。それから子供は急に大きい声で泣き出した。私は忽ち近くの家(うち)から飛出して来た連中に取り囲まれ、口々に罵られた。…

一方で、次のようなくだりには志賀直哉の繊細な心の機微が表れていて、短編小説を読むような感興を覚えます。
…3、4年乗って古びた「デイトン」を下取りに出して、もっと高価な「クリーヴランド」という新車に乗り換えることになり、デイトンを50円でその自転車屋に売るが、その直後に別の店で「ランブラー」という自転車を見て欲しくなり、50円では足りない分を祖父に払ってもらい買ってしまう。「クリーヴランド」を買う約束で「デイトン」を買い取ってくれた店に対して気がとがめるが、そのままにしておくと、その店の主人が「うまくペテンにかけられた」と言っていることを聞かされる。それ以来「ペテン」と言う言葉が志賀直哉を悩ませることになる。ある時教会で牧師の説教を聞いているうちに、罪の意識に耐えられなくなる。「クリーブランドを買うといったために、もし自分のデイトンを高く買ってくれたのだとすれば、店はどれだけの損をしたのか?」 志賀直哉は祖母に10円を貰って店に行く。自分が悪かったと謝り、10円を受け取ってもらうために…

志賀直哉は、このことが基督教に近づいた機縁になっていたのかも知れないと書いています。
随筆の最後は次のように締めくくられます。

私は自転車に対し、今も、郷愁のやうなものを幾らか持つてゐるのか、其処にあれば一寸乗つて見たりもするが、自転車そのものが昔と変つて了つた為めに乗りにくくもあり、流石に今は乗つて、それを面白いとは感じられなくなった。

これは志賀直哉が69歳の時、50年も前のことを思い出して書いた文章です。今までに読んだ志賀直哉の文章の中で、これが一番僕の心にしみたような気がします。