山の拗ね者

mf-fagott2007-02-26

昨日は横浜美術館へ、「小島烏水版画コレクション展」を見に行きました。
小島烏水の本業は銀行員ですが、近代登山のパイオニアでもあり、紀行文学者としても美術の評論家としても才能を発揮し、東西の版画を集めて広く世に紹介もした、マルチ文化人です(と、パンフレットに書いてあります。)
水彩画、浮世絵、西洋の版画などバラエティに富んでいて見ごたえのある展覧会でしたが、展示してあったのは横浜美術館の所蔵する資料約900点のうちの約250点だそうですから、烏水のコレクションというのも膨大なものですが、それをいっぺんに見せられないくらい所蔵している横浜美術館もすごい!
さて、今朝出勤途中で一緒になった職場の先輩に歩きながらこの話をしたら、先輩曰く、「小島烏水って、太宰の富嶽百景の最初の方に名前が出てくる人でしょ。」「?」僕には全く記憶がないのです。だって太宰を読んだのって、もう30年くらい前だし。
で、休み時間に図書室で探してみたら、確かに出てくるんですね、3ページ目くらいに。

 昭和十三年の初秋、思いをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。
 甲州。ここの山々の特徴は、山々の起伏の線の、へんに虚しいなだらかさに在る。小島烏水という人の日本山水論にも、「山の拗ね者は多く、此土に仙遊するが如し」と在った。甲州の山々は、あるいは山の、げてものなのかも知れない。私は甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠へたどりつく。

ここの天下茶屋で、太宰は先に来ていた井伏鱒二としばらく同宿することになるのです。
僕は中央道を車で走っていて甲府盆地を通り過ぎる頃に、誰かがこの周りの丸っこい山をけなしていたなあっていう記憶がよぎることがあるのですが、それはこの一節だったのかも知れません。井伏の文章だったような気もしていたのですが。


それにしても、こんな話題で始まる月曜の朝というのも、悪くないですね。