創造の源泉へ

人生の残り時間でやりたいことの中に、「絵を描く」があります。
数年前に鉛筆画に興味を持って、少し描いてみたことがありますが、最近はとてもそんな余裕はありません。それでもこんな本を見つけると、つい読みたくなって買ってしまいます。

カラー版 絵の教室 (中公新書)

カラー版 絵の教室 (中公新書)

次の言葉はなかなか面白いと思いました。

写真のような絵は百万人を納得させ、個性的な絵は、それを描いた子のおじいちゃんが満足することからはじまります。

しかし現代は、筆者が言うように

「写真みたい!」と言われるような絵が、必ずしも評価されない時代

であることは確かです。(「へたうま」なんていう言葉もあるくらいです。)どうやらこの本は、次の問に答えるために書かれたもののようなのです。

「写真みたい」であることは、絵の上手下手を測る物差しにはなりますが、良し悪しを測る物差しではなくなったのです。それはなぜでしょうか。

僕は、この答えがどこかに出てくるものと思いながら最後まで読みました。しかし、僕には明確にこの問に答えている場所は見つかりませんでした。筆者は、現代は携帯やデジカメで簡単に写真が撮れるから、などという安直な結論でこの問題にカタをつけようなどとはしません。遠近法を実践してみせたり、自画像にチャレンジしたり、故郷の津和野へ行ったり、ゴッホの足跡を辿ったり、パリのモンマルトルで自分の似顔絵を描かせたり、とにかく筆を動かし、足を動かし、絵というものの本質に迫ろうとしているのです。
読み終わってみると、絵の魅力、ちょっと大げさに言えば芸術の創造の深みへと誘ってくれる、見事な授業だったと思うのです。

さきほどの問の答えは、授業を受けた生徒一人一人がこれから時間をかけて見つけていくものなのでしょう。