直して使える、かな?

mf-fagott2006-06-03

『考える人』という季刊誌を創刊号から買っています。(電車の中では読みにくいので)読む方が追いつかず溜まる一方で、もうやめてしまおうかと思うのですが、何かしら読みたい文章が載っていたり、本の作りが魅力的だったりで、結局毎号買ってしまうのです。かつて岩波が出していた『へるめす』という雑誌(これも創刊号から50号まで買ってしまって、僕の本棚の1段分を占領しています)と雰囲気が似通ったところがあると感じています。『へるめす』の方がやや堅い内容でしたが、どちらも僕の好みの雑誌なのです。
その『考える人』の最新号の特集は「直して使う」。自転車屋スポーツ車を修理しているしゃれた絵の表紙で、こうなるとやはり買わないわけにはいかなくなってしまいます。

特集の最初に串田孫一の文章(『古い室内楽』所収の「こわれる」という短文)が再録されていますが、その中にはこんな一節があります。

私はこわれものの修繕をするのが好きである。好きというより、そのままこわれたものを捨ててしまうのがいやなのである。

品物を直していつまでも使っているので、けちのように思われることもあるが、私の方から言わせてもらえば、品物をぞんざいに扱い、こわれたらこわれたでぽいと捨ててしまう人は嫌いである。

僕も全く同じ。直して使えるものは、いつまでも使いたい。

先週の日曜、フロントのディレイラーの調子の悪いマウンテンバイクを県内でも有名な自転車屋に持っていって調整してもらったのですが、結局少しも良くならなかったのです。代金630円しっかりとられたのに。そこで改めて(というか、初めて)取扱説明書をよく見たら、自転車屋がいじったネジのほかにもう一箇所調整のためのアジャストボルトというのがあるのがわかりました。なんだ、最初からこれをよく読んでおけばよかった。フロントディレイラーの調整は難しいと聞いていたので、最初から自転車屋に持っていったのに…
というわけで、明日自分でいろいろといじくってみようと思っているのです。もっとも、買ってから14年目になるおんぼろ自転車ですから、「直して使う」と言ってももう限界かも知れませんが。なにしろチェーンなんか、ずいぶん磨り減っているのが素人の目にもよくわかるくらいですから。でも、調整して良くなれば、まだまだ使うつもりです。