散歩のつもりが…

散歩の極意 (ちくま新書)

散歩の極意 (ちくま新書)

どんなに忙しくても、気持ちの持ち方、あるいは時間の使い方の工夫で、けっこう散歩はできるものです。散歩ができれば楽しみも増し、さらにあなたにゆとりが生まれるという相乗効果となってゆきます。それがひいては人生にいつの間にかゆとりが出てくるということになる。そんなふうに考えてみませんか?

はい、いつもそんなふうに考えているんですよ。それで例えば僕にとってはこんなのも「散歩」です。
月に2、3度ですが、職場から1キロほど離れたところにある郵便局まで自転車で行くことがあります。正門を出て真東に向かってまっすぐ行くとバス通りにぶつかり、そこを左折して今度は北にまっすぐ進めば郵便局。
ところが、いつも同じ道ではつまらないので、ほぼ碁盤の目のように走っている道を、ジグザグに曲がっていくと(暴走族ではないので蛇行するわけではなく、右折左折を繰り返すのです)、ちょっと風景の変化を楽しめます。それでいて郵便局への最短距離であることには変わりはないので、仕事をさぼっているととがめられる心配もない(はず)なのです。もともとは一面が田んぼだった地域ですが(だから道が碁盤状なわけで、ここが京都だからでは決してありません)、ところどころに田んぼを切花用のハウス、野菜畑、イチゴ畑などに変えた所もあるので、道のとり方でいろいろ季節を感じさせる風景に出会えるのです。忙しい中でのささやかな散歩ですが、ちょっとした気分転換になります。
でも、ツイてないときはこんなことも…
向こうから近づいてくる挙動不審の高校生はどう見ても本校の生徒。ああ、見たくないものを見てしまった。でも見てしまった以上は仕方ない。
「おい、その指の間に挟んでいるものは何だ? カバンの中に入ってる箱を出しなさい。ライターもあるだろう?」
こうなるとせっかくの散歩気分も一瞬にして暗転。この辛さ、同業者の方ならよくわかりますよね。因果な商売だなあ。
ところで、

近ごろでは「日本百名山」が流行っていますが、その山に我も我もと登らなくてもいいだろうに、と思うのです。せっかくの遊びさえもがなんだか追い立てられている気がして、却って疲れそうです。
自分の百名山を探すとか、とりわけ有名な山でなくても、自分が好きな山の百名山、いや“十名山”だっていいのです。つまり、自分の価値観で決めたいということです。

この部分、大賛成! これって、どんな本を読むかってことにも通じると思うなあ。