情報を泳ぐ

授業で沢木耕太郎「『情報』の洪水の中で」という教材をやったのをきっかけに『深夜特急』を読んだことを書きましたが、もう一冊教材の内容に関連して情報を考える (丸善ライブラリー)』(仲本秀四郎著、丸善ライブラリー)という新書を読んでみました。

沢木の場合、

私は「情報」というものに対して怠惰な態度をとり続けている。

雑然とした「情報」の洪水に追い立てられ、おぼれるのはご免だという気持ちがある。

と言い、

大切なことは…本当に知りたいことに、柔らかく反応できる自分を作ることだ。そして、そのような自分は、決して「情報」では作りえないものなのだ

と述べているように、どちらかといえば情報過多の現代社会から一定の距離を保とうとする姿勢が見えます。(地図も持たずに未知の世界に飛び込んだ『深夜特急』の旅は、本格的な情報化時代の到来を前に、その賢明な泳ぎ方を実践して見せたものとも言えそうです。)
一方、『情報を考える』で次のように述べているところは、情報化社会のこのようなとらえ方もあるのかと面白く思いました。

不確定な情勢で特定の情報が効用を発揮するかげには、同時に無用な情報も多数ある。情報化社会では、このようなレダンダンシー、すなわちムダや遊びの存在を多分に許すしくみになっている。…ムダなものがムダであるがゆえに、有用なことさえある。第一、ムダがなく有用性ばかりが追い求められるのなら、世の中は窮屈だろう。レダンダンシーが情報に奥行きを作り、多様性を与え、世の中に選択の自由を生む。遊びのあること、遊びを選択できる余裕が、これからの社会の大きな特徴である。

これもまた、情報化社会を生きるためのヒントを与えてくれていると言えるのではないでしょうか。情報の洪水におぼれるのではなく、優雅に泳ぎきるための術を…