文学と生活


 文学に興味を持つようになったきっかけは、と聞かれれば、高校の現代国語の教科書に載っていた島尾敏雄の短編(題名を忘れてしまったので、今調べてみたら「いなかぶり」だった)を読んで文学というものの奥深さに触れたからだなどと答えたりしていたのに、その割にはその島尾敏雄の代表作である『死の棘』を読むのは随分遅くなってしまった。
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 先月初めに、佐倉の街を歩いた時、偶然に正岡子規の句碑を見つけて、ここも子規のゆかりの地だったか、どこに行ってもその地にゆかりのある文学というものはあるものだなと思ったが、その時自分が歩いているのが、『死の刺』の夫婦が上り下りしたに違いない坂道であることには気が付かなかった。その時ちょうど肩に下げていた鞄の中には新潮文庫の『死の棘』が入っていたというのに!(読んでいたのはまだ作品の最初の方で、舞台は小岩の街だった。)
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 600ぺージにも及ぶ長編と付き合うことになったこの数週間、壮絶で陰惨な戦いを続ける夫婦の気分がこちらにまで乗り移ってしまうことがあるかとも危惧されたが、振り返ってみるとそんなこともなかったのはどうしてだろう。いきなり最悪の状況から始まるこの小説が、遠くにほのかな希望の光が灯るのを常に感じさせるからだろうか。それとも、「その後」の島尾敏雄島尾ミホと二人の子供がどういう経過をたどったかという「現実」を多少なりとも知っているということが、作品の外から読者の安心を保証してくれているということなのだろうか。いや、読者が陰鬱な泥沼に陥ることなく、読み進むことに快感さえ覚えるのは、筆者の筆力、強靭な文章の力なのだと思う。
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 作品の最終章の中ほどに出てくる、次の一節が心に引っ掛かった。

文学と生活は別のものかしら、と言われても納得させることばを口にすることはできない。

 「納得させる」とは、妻をか、それとも自分自身をか。いずれにしても、妻の問いに作品の中では答えられない「私」だが、作家島尾敏雄としてはその問いに答えが出せたのだろうか。まさに『死の刺』こそ、この重い問いに対する一つの答えなのではないかとも考えてみる。しかし、この大長編小説の最後の一文は、文学の側に急速に傾きかけた作品を、再び生活の方に引きずりおろそうとするかのようだ。作家の中で「文学と生活は別のもの」という答えと「別のものではない」という答えとが戦っている。