対立の歴史

一貫した問題意識によって語られた歴史というものは、そのダイナミズムを露わにし、読み手に知的興奮を味わわせてくれるものです。
『やつあたり俳句入門』の著者中村裕は、高浜虚子による「結社に名を借りた家元制導入による俳句大衆化路線」を批判する立場から、芭蕉以降の俳句の歴史を通観します。芭蕉→子規→虚子→新興俳句という流れが、単なる事実の羅列としてでなく、その内部に推進力を持った運動体として、つまりは対立の歴史として照らしだされるのです。そして、そのように語られた歴史はおのずと現在の俳句のありようを批判的に浮かび上がらせることにもなります。
著者は俳句の現在については、反ホトトギス、反花鳥諷詠を掲げた新興俳句が正当に評価され、正しく引き継がれてこなかったことが、そのつまらなさを生み出しているのだと断じます。
新興俳句を多く取り上げ、その魅力を大いに語った『俳句鑑賞450番勝負』を読んだばかりの僕には、中村裕の主張はとてもよくわかります。著者の取り上げる窓秋、三鬼、白泉らの作品はとても魅力的だと思いますし、今回もその思いを新たにしました。
しかし、現在作られている俳句はそれほどつまらないものばかりでしょうか。そして、季語の恩恵にあずかりながら俳句を作る楽しみの奥深さはなかなか否定できないものではないかとも思うのです。俳句は「文学」でなければならないのか、芸術ではなく芸事としての俳句の存在は許されないのか、こんな疑問はどうしても残ってしまうのです。

やつあたり俳句入門 (文春新書)

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