読むべき本

 昨日に引き続き、『書く力―私たちはこうして文章を磨いた朝日新書)』について。
 この本はたまたま書店で見つけて、中の数行を読んだだけで「これは読むべき本だ」と直感して購入したのだが、この直感は正しかったようだ。
 竹内政明は文章修練のために、いい文章を見つけて書き写すことを続けているという。特に井上靖の詩集『北国』は、「頭からお尻まで三〇回くらいは書き写した」とのことだ。読むだけでなく書き写すことで、「発見」があるという。
 北原政明は『北国』の中の「海辺」と題する作品を取り上げ、その優れた点は、淡々と事実だけを積み重ねた表現の簡潔さ、リズムの良さであるとし、さらに詳細に分析する。

この詩のかなわないところは、作者の感情というか、内面を表現しているのが、「驚くべきこの敵意の繊細さ」「悲哀の念にうたれながら」それから「嫉妬を激しく感じた」の三カ所しかないところです。にもかかわらず、「遠い青春への嫉妬」が、迫るように伝わってくる。

この文章では「殴る」「蹴る」という動詞が一度も使われていないんです。これは、ちょっと真似できない。普通は、決闘や喧嘩の場面を描写しようとすると、どうしても「殴る」や「蹴る」という動詞を使ってしまうものだと思いますが、それをしない。「バンドが円を描き、帽子がとび、小石が降った」というように、陳腐なことばを使わずに、独りよがりにもならずに、そこで起きた出来事をまるで画面で見ているかのように伝える。

 さすがに何度も書き写した文章のことだけあって、その良さを非常に的確に掴んでいる。僕も井上靖散文詩は好きだが、小説を凝縮したもの、とか、詩情があふれるという程度の漠然とした捉え方でこれまでは済ましていた。自分なりの「発見」が見つかるくらいに、井上靖の詩とじっくり向き合ってみたいものだと思って、探してみると、『詩集北国新潮文庫)』と『自選 井上靖詩集旺文社文庫)』が本箱の中に眠っていた。
 机の上に、読むべき本がどんどん山積みになっていく。