もっとワガママに生きろ?

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)』(城繁幸著)に続けて『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)』(同)を読みました。
3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)
そもそも「キャリア教育」って何なの? これから社会に出る若者にどういうアドヴァイスをしてやるのがいいの? という疑問を前々から抱いていた僕にとって、この本のキーワードは「主体性」と「多様性」、そして「ワガママ」でした。

 キャリアとはそもそもなんだろう? あえて訳せば職歴となるが、もちろんそれだけでは意味としては不十分だ。そこには自分の意志でキャリアを積み上げるという主体性が抜け落ちている。
 確かに、企業側もイニシアチブを労働者側に譲るシステムを整備する必要があるし、教育もそれに応じて変わっていく必要がある。だが最も重要な変化は、労働者自身の意識の変化だ。与えられるのではなく、望むキャリアを自分で手に入れること。自由を手に入れるためには、義務を担う決意もまた必要なのだ。

教育が変わっていく必要がある…これについては、別の場所で次のように言っています。

今後の教育システムはどうあるべきか。遅ればせながら先進国並みの多様化を目指す以外に道はない。

これまでの教育システムは時代の価値観に合わせて「真白で無主張、無個性な人材を輩出」してきたが、成熟した社会の価値観は多様化し、年功序列的なシステムは職務給的制度にシフトするから、特にこれからの大学は専門教育機関として様々な目的意識と専門性を持った人材を育てなければいけない、ということです。
もちろん、教育が変わることが最終的な目的ではありません。労働者の意識が変わっていくことこそが、日本の閉塞状況を打破するために必要なことなのだと著者は言っているのです。そして、著者が労働者、特に若者に向かって強調するのは、ひとことで言えば「ワガママであれ」ということです。

あくまでも仕事のやりがいを求める人であれば、「あんたより俺のほうが優秀だから、今すぐ部長ポストをよこせ」だの「あいつの給料を減らしてその分こっちに回せ」だの、どんどん主張してかまわない。

仕事はほどほどにして生活を大切にしたい人なら、「満員電車がいやだから在宅勤務を認めろ」などと主張すべきだとも言います。

それらが受け入れられないならば、転職すればいいのだ。それに近いものを提供できる会社は必ず存在するし、今後さらに増えるだろう。上記のような主張は諸外国では当然のように主張され、そして多くは実現できている。すし詰めの満員電車に乗って、休暇も使わず、深夜まで働かねばならない時代はもう終わったのだ。

そういう時代は本当にもう終わっているのでしょうか。有給休暇が当たり前のように取得できる世の中は実現しているでしょうか。もちろん、そういう世の中にするために「ワガママ」を言わなければならないのだという筆者の意図はよくわかるのですが…
社会の厳しさを教えることも仕事の一つであると思っている教師にとっては、この本はなかなか悩ましい問題を突きつけてくる本でもあるのです。