昭和的価値観の親玉

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)

若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)



本書の論点のうち、とりわけ僕にとって興味深い部分をまとめてみました――


日本社会を、とりわけその若年層を支配している「閉塞感」は、日本的な「年功序列社会」の行き詰まりが原因である。成果主義的なシステムをうまく機能させられるようになればよいのだが、それができないのは年功序列を支える価値観の根が深いからである。

 なぜ日本人はこれほど強固な年功序列を維持し、政治から経済まで、それに基づくアクションを支持してきたのか。
 それを考えていくとき、われわれの周囲にごくふつうに存在するさまざまなシステムが、実は一本の線でつながっていることに気づく。
 それらをたどっていけば、いよいよ昭和的価値観の親玉にたどり着くはずだ。

では、「昭和的価値観の親玉」すなわち、「年功序列」につながる一本の線のおおもとにあるものとは何なのか。それは(なんと!)、「日本型教育システム」なのだ。

 そこには、「どんな問題も必ず正答が一つだけ存在する」という大前提がある。マークシート方式のセンター試験や、私学の穴埋め問題などはこの典型だろう。
 だが、これは少々特殊な世界だ。考えてみれば、実社会では明快な答えのある問題のほうが少ない。たとえば、自分が何に価値を見出し、どういう仕事をするか、100人に語らせれば100通りの答えが返ってくるだろう。
 本当なら、あるかないかわからない答えを自分で考える、そしてそのための理論を構築する作業が重要なはずだ。日本の義務教育に創造性が足りないと言われるのは、まさにこの点だろう。
 これはそのまま、人生に対するスタンスにも大きく影響する。リスクのともなう結果の不透明な挑戦よりは、確実な答えのあるレールを選ぶ気風を、知らず知らずのうちに育んでしまうのだ。



――それにしても、「日本型教育システム」が「年功序列」を支える大きな力となっていたことに異論はないにしても、そうした教育システムが生まれた背景というものもあるはずで、本当の「親玉」はもっと深いところに潜んでいるのではないかという疑問は当然生じます。しかし、この本の一番の目的はその「親玉」の存在を突き止めることではないのです。この本が、読者(とりわけこれから社会に飛び込もうとしている若い読者)に伝えたいのは、働くことの真の意味は自分で見出すものなのだ、というメッセージです。

 自分の胸の奥にある動機に従うか、それともそんなものは忘れて、昭和的価値観に身をゆだねるか。
 決めるのは上司でも友人でも親でもない。自分自身だ。

そして、こうしたメッセージは僕にとって、自分自身への次のような問いへとつながるのです。


今まで僕は、生徒に「昭和的価値観」を刷り込んでいることに対して、無自覚でありすぎたのではないだろうか?
そして、残された時間の中で、僕が彼らにしてやるべき一番大切なことは、何なんだろう?