学生時代は学ばなかったけど…

人前でしゃべることが商売の僕のような人間は、まず自分が勉強しなければなりません。商人がまず商品を仕入れなければ商売にならないのと同じようなものです。「学ぶ」こと自体が仕事の一部です。でも、仕事だから仕方なく学んでいるという意識はありません。学ぶことは楽しい、いや、こんなに楽しいことはありません。
しかし、僕は学生時代からこんなに勉強が好きだったか? そんなことはないのです。好きだったら、もっと熱心に勉強していたはずです。高校時代は早々と理数系の科目は捨ててしまったし、大学時代だって随分もったいない時間の過ごし方をしていたと思います。後悔先に立たずです。数学だって、生物だって、ドイツ語だって、宗教学だって、もっとしっかり勉強しておけばよかった…
今、僕を勉強へと動機づけているのは、まず第一に「知りたい」という純粋な思い(好奇心)ですが、そこに「学生時代に勉強しなかった分を取り返そう」という気持ちが混ざっていることも確かです。
『学ぶことの法則』などというタイトルに惹かれて本を手に取る、そのときの心の動きの中にもそれはあります。

学ぶことの法則 (丸善ライブラリー)鷲田小彌太著、丸善ライブラリー)
中を開くと、目次には次のような命題が並んでいます。

公理 学ばなければ、学ぶ意味はわからない
定理1 学ぶ最良の方法は、教えることだ
定理2 まず基礎からではなく、まず、先端から齧れ
定理3 大学、総じて、学校の最大利用は、むりやり、否が応でも、学ばせるところにある
定理4 受験勉強をおろそかにするな
定理5 強制されたものは、最初は、すべて面白くない。授業が面白くないことの宿命が、ここにある
定理6 独りで学ぶことができないもののためにこそ、学校はある
定理7 どんな面白くない授業であっても、卒業したら、懐かしくなる。もっと真剣に取り組んでいたらなぁ、というため息が出るものだ
定理8 大学卒業後、ビジネスマンになってから、よく学ぶのは、大学時代に学ばなかったからだ
定理9 大学時代、学んでも、学ばなくても、卒業したら、学ばなければならなくなる

これらは、僕のこれまでの経験と照らしても、すべて「真」だと言い切れるものばかりです。
定理1は、「教室で一番学んでいるのは、教えているときの教師だ」と言い換えることが可能です。これからは生徒が教壇に立つという機会を増やそうと、ちょうど考えていたところでした。
定理4について、筆者は受験勉強を「潜在力を引き出す重要なチャンス」ととらえ、「過度な位置づけをするのは間違いだが、おろそかにしてはいけない」と言います。実際僕も大学受験の経験から得たものは大きかったと思います。
定理7も8も、まるで自分のことを言われているようなものです。働くようになってから、「もっと真剣に取り組んでいたらなぁ、というため息」を何度ついたことか。
このテの本に手が伸びてしまう人の多くは、僕のように「もっと学んでおけばよかった」と後悔している人なのではないでしょうか。
実は、インターネットで書名を検索していて見つけたのですが、この本は後になって『学生時代、学ばなかった君へ―学びの法則』 と改題され、増補されて単行本として出ているのです。僕のように学生時代勉強をしなかったことを悔やんで、せっせと読書に励んでいるオジサンたちの存在に、出版社が目をつけたということなのでしょうね、きっと。

学生時代、学ばなかった君へ―学びの法則