語り合うべきこと

1Q84 BOOK 3

1Q84 BOOK 3

「面白かったか?」という問いに対しては、それほどでもなかった、と答えておこう。
話題になっている本だから読んでみようかと思っている人には、世の中にはもっと面白い小説がいくらでもあるんじゃないの、何も今これを読まなくても…と言いたい。なにしろ三冊読み通すにはばかにならない時間を要する。それだけの代価を支払うだけの価値があるのかどうか、僕には疑問だ。
僕はこの「BOOK3」の発売前にその内容を予想して、「村上春樹は謎に対してあからさまな答えを差し出すことはしないだろうね。いろいろな読みの可能性を残して、物語は終わる。」と書いた。予想通り、「BOOK2」が残した多くの謎に対して「あからさまな答え」は示されなかった。それは、いい。しかし、筆者が「いろいろな読みの可能性」を残してくれたかというと、それもまた怪しい。この小説に対して不満を感じる最大の理由がそこにあると思う。
ネットサーフィンしてわかることは、多くの読者がスリリングな話の展開に引き込まれて、600ページもの大作を苦もなく読まされてしまったことに驚き、達成感に近い満足感を味わっていることだ。その点は僕も同じだ。この本は、間違いなく読書の一つの醍醐味を与えてくれる。
でも、僕がこの作品に期待したのは、お話としての面白さだけではない。筆者の長い創作活動から生み出された、それなりに重いメッセージをずしりと受け止めたいと思っていた。残念ながら僕にはまだそれが出来ないでいる。残された謎に対してさまざまな解釈をあたえようとする試みが、そのメッセージを受け取る手掛かりになるはずなのだけれど。もちろん、手掛かりをつかめないのは、僕にそれだけの力がないからでもある。しかし、謎を解くカギは、本当に作品中に隠されているのだろうか。


二十年ぶりの再会を果たした天吾と青豆はその夜、赤坂の高級ホテルに部屋をとり、ベッドに入る。

語り合わなくてはならないことは数多くあったが、それは夜が明けてからでいい。まず済ませなくてはならないことがほかにある。

「まずすませなくてはならないこと」とは互いの体を「口をきくこともなく」調べ合うことだ。そして、その後二人は夜明け近くなってまだ空に残る月を「言葉もなく」見つめる。
この小説の一番大切なメッセージを読み取るカギは、天吾と青豆が語り合う「言葉」の中にこそあるはずではないのか。「言葉」によって二人が互いに理解し合わない限り、読者もまたこの作品の真の理解に近づくことはできないのではないか。
しかし、この長大な物語は、二人が語り合うべき朝を迎えることなく終ってしまうのだ。