風の強い日曜日には

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

新装版 パン屋再襲撃 (文春文庫)

 村上春樹ノーベル賞に値するような偉大な作家なのかどうか、僕にはわからない。というより、その点に関しては僕は懐疑的だ。彼の小説が素晴らしいから読むのではなく、世間が言うほどの作家なのかを確かめたくて読んでいる、というところがある。深遠な意味を含んでいそうで、実は作者自身、さほどつきつめて考えていないんじゃないかと思わせるような作品も多いと思う。…ということを確信をもって述べるには、まだ僕の読書量はあまりにも乏しいのだが。
 それはともかく、彼の小説を読んでいて文句なく感心させられるのは、卓抜な比喩。それから、音楽の登場のさせかた。こんな状況で聞くなら確かにこの曲だろうなあ、というような納得の曲目選択をする。

 僕は湯をわかしてもう一杯コーヒーをいれ、今度はちゃんとスプーンでかきまわして飲んだ。カセット・デッキのスイッチを入れると天井につけた小さなスピーカーからバッハのリュート曲が流れた。スピーカーもデッキもテープもみんな渡辺昇が家から持ってきたものだった。
 悪くない、と僕は今度も口に出さずに言った。四月の暑くもなく寒くもない曇った夕暮にバッハのリュート曲はよくあっていた。
『双子と沈んだ太陽』)

僕がこの小説を読んでいたのもちょうど四月の暑くも寒くもない四月の夕方。バッハのリュート曲を聴かずにはいられない気分になってしまった。

 先週のぶんの日記をぜんぶつけてしまうと、僕はレコード棚の前に座って、強風の吹き荒れる日曜日の午後に聴くにふさわしいと思える音楽を選んでみた。結局ショスタコヴィッチのチェロ・コンチェルトとスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンのレコードが強風にふさわしい選択であるように思えたので、僕はその二枚のレコードをつづけて聴いた。(『ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーポーランド侵入・そして強風世界』)

 クラシックの中でもさほどポピュラーではない通好みの曲に、ジャズかロックを組み合わせるというのは村上春樹の小説の登場人物がよくやる手だ。もちろん、そこには村上春樹自身の美学が反映しているだろう。
 今度、風が強くて自転車で出かける気になれない日曜日は、ショスタコのチェロ・コンチェルトを聴いてみようか…