脱皮という高等技術

車輪の良さをしみじみ体感できるのは自転車であろう。同じ自分の足を使うのに、こんなにも速く走れるなんて! と、学校にあがる前、1時間10円の貸自転車に心を躍らせたものである。事実、自転車というものは、人間の使う陸上の移動道具のうちで、もっともエネルギー効率の良いものである。

これは、この1月に国語総合の授業で取り上げた、「なぜ車輪動物がいないのか」という文章の一節です。
――人間というのは動物全体の中ではかなり背の高い方で、人間にはごく小さく見える地表の凸凹でも、ほとんどの動物にとっては行く手を妨げる大きな凸凹なのだ。車輪がいくらエネルギー効率がいいといっても、原理的にその直径の2分の1以上の段は越えられない。もし移動するための体の構造が車輪になっていたら、自然の地表というのは本来凸凹だらけだから、進むのに相当難渋する。だから車輪動物は存在しないのだ。
――自動車というのは、まず広くて硬い道路を作らなくては用をなさない、つまり環境を大きく作り変えなければ使えないという点で、上等な技術とは言い難い。
「なぜ車輪動物がいないのか」にはこんなことが書いてあります。なかなか面白い文章ではないかと思いました。
そこで、この文章の出典である『ゾウの時間ネズミの時間―サイズの生物学』(本川達雄著、中公新書を読んでみました。

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)

これは発売当時、結構話題になった本ですから、体の大きなゾウの心臓はゆっくり打ち、小さなネズミははやく打つが、一生の間の心拍数は変わらないということが書いてある本だということは、僕も知っていました。このことについて著者は第一章「動物のサイズと時間」の中で、次のように言っています。

物理的時間で測れば、ゾウはネズミより、ずっと長生きである。ネズミは数年しか生きないが、ゾウは100年近い寿命をもつ。しかし、もし心臓の拍動を時計として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるだろう。小さい動物では、体内で起こるよろずの現象のテンポが速いのだから、物理的な寿命が短いといったって、一生を生き切った感覚は、存外ゾウもネズミも変わらないのではないだろうか。…人間の考え方や行動なども、ヒトという生物のサイズを抜きにしては理解できないものである。ヒトがおのれのサイズを知る、これは人間にとって、もっとも基本的な教養であろう。

この本の狙いは、サイズという視点から生物を理解しようというところにあるのですが、生物を理解することは、結局ヒトに対する理解につながるようです。
読んでいてなるほどと思うことが多かった中で、脱皮について書いてあったことが僕には印象的でした。昆虫など、外骨格の生物は生長のたびに体をすっぽり覆っている固くて複雑な形をした殻を何もかも脱ぎ捨てなければなりませんが、この脱皮という作業は危険と困難を伴うもので、脱皮がうまくできずに死んでしまうことも多く見られるのだそうです。
外骨格でないヒトにも、これは当てはまるような気がしてなりません。「自分の殻を破る」と言えばありふれた比喩になってしまいますが、人間がうまく脱皮を繰り返して順調に成長してゆくということの難しさ、などということを考えてしまったのでした。