旅人、正岡子規

 「正岡子規展―病牀六尺の世界」を開催中の神奈川近代文学館復本一郎の講演会「子規の芭蕉」を聴いてきた。
 印象的だったのは、次のような話。

…子規は蕪村を称賛し、芭蕉に対しては随分厳しい評価を下しているが、資質的にはむしろ芭蕉の方に近かったのではないか。子規は実地に赴き、実際に見たものしか句にできない。蕪村のように空想で句を作ることができない点で、凡人なのである。もし子規が頑健で芭蕉のように旅を続けることができたら、より芭蕉的な世界に近づいていただろう。病に倒れた子規には、それは叶わなかった。子規の中に蕪村を希求する思いが生じたのはそのためなのだ…

 しかし今日、子規の旅の足跡を図示した展示を見てわかったのは、子規が当時の人としては驚くほど精力的に日本の各地を訪ね歩いていることだ。芭蕉を意識してのことでもあろうが、旺盛な好奇心のなせる業なのだろう。子規とは、実に人生を太く短く生きた人なのだと思う。

 つい先日、佐倉の街を歩いた時に偶然見つけた子規の句碑、二つ。

霜枯の佐倉見あぐる野道かな

子規は1894年(明治27年)12月にこの地を訪れたという。

常盤木や冬ざれまさる城の跡