子規の「幻視」能力

『俳句界』4月号の「俳句界時評」(林桂)の後半部分が僕の興味を引きました。(前半、助動詞「き」をめぐる松田・池田両氏の論争はもうどうだっていいのです。これについては以前書きましたので、もう繰り返しません。)

ここで「後半」というのは63ページ8行目「さて」以降の部分を指すのですが、そこでは正岡子規の絶筆三句のうちの「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」の新たな解釈の可能性が示唆されています。
林桂氏は次のように言います。

池田は、子規が痰がつまった死後の自分を想像している句と解釈しているのに対し、松田は痰がつまっている自分を描いたものだと解釈している。それぞれの「き」の用法に拘ってのゆえの相違であるが、この解釈の違いは興味深い。

若干補足しますと、池田氏は「き」に完了存続の用法(〜ている)を認めませんから、子規の句の「し」が正用ならば、この句は現在の自分を「痰のつまっている仏」と言ったのではなく、死後の自分を想像している句ということになると言うのです。林氏は、従来は「どちらかと言えば松田氏に近い解釈」、すなわち生きている現在の自分を「仏」と見立てる解釈がなされてきたようだが、池田氏の解釈にも一理あるとし、

この一句を現在の自分から解放して、死を覚悟した子規に見えた死後の自分の姿と考えることはできないだろうか。

と問題提起しています。
ここで僕は、たまたま最近読んだ前田夕暮の次の歌を思い出さずにはいられませんでした。


ともしびをかかげてみもる人々の瞳はそそげわが死に顔に
かそかにわが死顔にたたへたるすがしき微笑を人々はみむ
一枚の木の葉のやうに新しきさむしろにおくわが亡骸は
雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は



これらの歌については、篠弘氏が『現代の短歌 100人の名歌集』の脚注に次のように記しています。

最後の四首は「わが死顔」と題する10首からの一連で、亡くなる二か月半ばかり前に、みずからの死後のことをモチーフにした稀有なるものである。中井英夫が「あたかも死後の世界をあらかじめ覗かせるような、不気味に美しい一連を残して、ひっそりと旅立っていったのである。これほどみごとな遺詠を私は知らない」と賛美した。それに賛同したと思われる山田吉郎が、「死後の自己をありありと幻視する不可思議な時間感覚と、みずからの死を満ちたりた自然死と捉える境地」が溶けあった、特異な美の世界を認めるところとなる。

こうした前田夕暮作品とそれへの「賛美」は、正岡子規の「痰のつまりし仏」の読み直しへの一つの有効な手がかりになりそうです。夕暮と子規の、自らの死を見つめる眼に同質のものを見出すことは可能でしょう。
ただ、子規の絶筆三句へのそうした方向での読みが、今までに一度も検討されたことがなかったのかどうか、不勉強な僕にはわかりません。手近なところにある本に当ってみると、たとえば大岡信氏は折々のうた(第六)』において、「糸瓜」の句をとりあげて次のように述べています。

子規はすでに死んだ人、つまり「仏」として自分を描いている。この自己客観の余裕と胆力に、たぶん子規の生涯が要約されていた。

ここにおいて、子規の一句は「見立て」の句ととらえられてはいないようです。また、同じく大岡信氏の著書『子規・虚子』の中の「子規と露伴の首都展望」という文章の中には次のような一節があります。

子規は、病苦を克服するためにも、未来を空想して楽しむことをしばしば試みたらしく、「死後」という随筆では、自分の死骸が棺に入れられ、土葬、火葬、水葬、風葬、はてはミイラにまでなる情景をつぎつぎに客観的に思い描いている。しかもそれが実に生き生きと書かれている。(p.51)

どうやら子規にも「死後の自己をありありと幻視する不可思議な」能力が備わっていたようです。

現代の短歌―100人の名歌集

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折々のうた〈第6〉 (岩波新書)

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子規・虚子

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