車の色、絵の色

 17年間乗った車の買い替えを検討し始めてから数カ月が経ってしまった。購入候補の車種はほぼ決まっているのだが、どの色にするかがなかなか決まらない。そろそろ結論を出そうと、今日は、カタログで見て良さそうに思えた色の車を見に、少々遠いディーラーまでわざわざ足をのばしてきたのだが、残念ながら現物はカタログのイメージとはかなり違っていて、今日も結論が出せなかった。営業マン曰く、「色ばかりはお客さんの好みで決めていただくほかありませんから…」

 で、今日の本題は、昨日に引き続いて、ルノアールの「ピアノによる少女たち」の話なのである。
 本箱の奥の方から岩波新書の『続・名画を見る目』(高階秀爾著)という本が出てきて、そこでもルノワールの「ピアノによる少女たち」(この本では「ピアノの前の少女たち」と訳されている)を取り上げているので読んでみた。

続 名画を見る眼 (岩波新書 青版 E-65)

続 名画を見る眼 (岩波新書 青版 E-65)

 僕がどうしても汚いと感じてしまうこの絵の色彩については、このように書かれている。

この作品の暖く豊麗な印象は、何よりもその色彩にもとづいている。ここでは、画面中央の座っている少女の服と、彼女の前に置かれている楽譜との清潔な白を別にすれば、ほとんどすべての部分が、緑と赤と黄色という豊かな暖い色調で構成されている。(中略)茶色い塗りのピアノも、全体に赤みを帯びた暖い色彩で描かれ、そして最後に、そのピアノの上の赤い花が、緑のカーテンをバックにして、強いアクセントを添える。赤と緑は、言うまでもなく補色の関係にあってお互いに最もよく調和し合う色彩であり、画面全体がこのふたつの色を基調としていることは、いわばこの場面の暖い、若々しい雰囲気を反映していると言えよう。

 僕にはどうしても汚いとしか感じられない赤と緑の組み合わせを、ここでは「豊かで暖い色調」「調和し合う色彩」と言い、決して「汚い」などとは言わない。僕にはその色調ゆえに、それがたとえ高価なものであろうともみすぼらしいとしか思えない少女たちの服装も、著者によれば「趣味のよい少女たちの服装」ということになる。こんなふうにことごとく感じ方が異なるのも、結局は好みの違いと言うほかないのだろうか。それとも、車と同様、印刷物でなく本物の絵を見れば、また違う印象を受けるのだろうか。