漢字の負の側面

この本は、2011年に『漢字が日本語をほろぼす』という書名で、角川SSC新書の一冊として出された。それを講談社学術文庫に加えるに際して、「ちょっと過激」にひびく書名を改めたのだそうである。読んでみると、もともとの書名にひかれて読み始めた読者の期待を裏切らないような内容になっている。

漢字をたくさんおぼえて、古典に学んだ知識にもとづいてそれを駆使することが、すなわち学問をするということだ、ということをそのまま体現したのが、朝鮮や日本の学問のありかただった。漢字をたくさんおぼえることが出世と地位の獲得にまっすぐつながるという、何百年も続いたこの伝統が、学問を常に保守と反革命、反人民的特権思想の巣クツにしてしまったのである。こんなところで行われる学問の役割は、何か新しいことを発見し、つくり出すというよりは、既存のサベツを固定化し古い伝統的な知識を固くまもって、煮つめたサベツのパッケージを後世に伝えるだけのことになる。

こんな調子なので、この人の考え方は少々偏っているのではないか、田中克彦というのは変なおじさんのようなので気を付けたほうが良さそうだ、と警戒心をいだく人もいるにちがいない。しかしこのおじさんは漢字の利点も十分によくわかったうえで、でもその性質を理解しないで使っているとこんな問題につながることもあるのだよ、という具合に、漢字の持つ負の側面について正しく教えてくれているのだ。

この本の内容とはちょっとずれるのだが、昨日の「朝日新聞エデュア」は「漢字学習 どこまで必要?」という特集をやっていて、漢字の書き順や、「とめ・はね・はらい」などの字体に必要以上の正しさを要求する教師の存在を問題視する記事を載せている。たしかに、教師は生徒に対し、正しい漢字という規範に従うことを不当に求めているかもしれない。もちろん、入試で問われるからやむを得ず、という現実もある。入試で×を付けられた生徒から、国語の先生が正しく教えてくれなかった、と恨まれても困る。その意味で、今年、神奈川県の公立高校入試の国語の問題から漢字の書き取りがなくなったことは、進むべき方向への前進と言えると思う。

ともあれ、漢字検定〇級取得、などという資格がもてはやされる風潮に目くじらを立てるつもりはないが、漢字を無批判に礼賛するのではなく、その本質を深く理解すること(そのために田中克彦の少々過激な物言いにも耳を傾けること)は重要だと思う。