同感、のち、違和感

僕の車の中には一年ほど前から、ベートーベン弦楽四重奏曲全集(アルバン・ベルク四重奏団の7枚組)が入れっぱなしになっている。車の中ではラジオを聴くことが多いのだが(主にFM東京、たまにFM横浜)、ラジオに飽きるとCDに替える。ベートーベンのカルテットは車の中で聴くのにふさわしいと思う。初期の作品から晩年の傑作群まで、それぞれの時代の作風を反映した変化があって、ずっとかけっぱなしにしていても飽きることがない。そういう意味では、同じベートーベンのピアノソナタ全集でも良いのだが(実際、グルダの演奏する全集を車に積んでいたこともある)、こちらには、運転するときの気分には似つかわしくない曲も少なからず混じっていると感じる。運転中のBGMには気持ちをリラックスさせてくれるような心地よさをまず求めてしまう。かと言ってあまり単調では飽きてしまって眠気を誘われる。適度な変化と刺激が必要だ。

そんなわけで、村上春樹の『女のいない男たち』を読んでいて、次の箇所に出くわしたときは「おやおや」と思った(「やれやれ」ではなく…)。

帰り道ではよくベートーヴェン弦楽四重奏曲を聴いた。彼がベートーヴェン弦楽四重奏曲を好むのは、それが基本的に聴き飽きしない音楽であり、しかも聴きながら考え事をするのに、あるいはまったく何も考えないことに、適しているからだった。(ドライブ・マイ・カー)

同感だ。しかし、次の箇所に出くわしたときの率直な気持ちは、「またか…」だ。

「…そういうことを考え出すと、自分だけがあとに取り残されていくみたいで、頭がもやもやする。その気持ちはわかるやろ?」
「わかると思う」と僕は言った。(イエスタデイ)

「あなたは空き巣に入ったことってある?」
「ないと思う」と羽原は乾いた声で言った。シェエラザード

なんで、いつも「…と思う」なんだ? どうしても違和感を覚えてしまうところだ。