どうすりゃいいの?

加藤典洋『言語表現法講義』は図書館でパラパラっとめくってみて、これは買って線を引きながらじっくり読む本だなっと直感したのだけれど、買って読み始めてやっぱり僕の直感は正しかったと思う。(まだ読みかけだけど)
自分にしか書けないことを書く、ということを、「小川の流れ」にたとえて、

皆さんは、小川です。誰もが小川です。小川は小川のせせらぎの声で何かを考えようとし、その頼りない自分だけの流れ、自分だけの呼吸で何かをかたろうとするんです。
それが、なぜ、最後に大河の、おおざっぱな現代社会批判に流れ込むのか。

と言って、ありきたりな「まとめ」で締めくくろうとする学生の作文を批評し、

A(小川)のよさをB(流れ込む大河)の言葉で語るな。

  
と言い放つ。僕は思わず膝を打った(なんて古臭い慣用句だよなあ)。
こういう発見に満ちた本との出会いというのは愉快な経験ではあるのだけれど、自分はなぜこういうことに気付かなかったんだ、自分は今まで何をやってきたんだという具合に、情けない自分と否応なく向き合わされるということでもある。
人の本を面白がって読んでいるばっかりじゃなくて、もうそろそろ人を面白がらせるものを書けるようになっていなくちゃいけないんじゃないの、って、ついつい自分を責めたりしている。でも、まあそれでは自分に厳しすぎるか。(←なんて、ほらほら、こうやって自分を「でも、まあ…」って「エクスキューズ」してしまうから、加藤典洋に言わせると「お前はもう死んでいる」的な文章になってしまうんだよな。)
文章を書くってのは、難しいな。文章を教えるってこともね。(ほら、完全に「大河」に流れ込んじまった。)

  

どうすれば、小川のせせらぎは大河を横切るだろうか。そして、また小川になって自分の流れを続けるだろうか。

この続きが楽しみ。