移動と思考

素晴らしき自転車の旅―サイクルツーリングのすすめ (平凡社新書)

素晴らしき自転車の旅―サイクルツーリングのすすめ (平凡社新書)

自宅から最寄の駅まで、あるいは近所のスーパーまでの移動手段としてだけでなく、自転車に乗ること、自転車を所有することをもっと楽しみたいという人にとって、格好の入門書。自転車と楽しく末永く付き合うために必要な基本的事項が網羅されている。
(自転車の魅力を伝えたいという力みからか、出だしの方は文章が妙にぎこちなくて、これは最後まで付き合うのはかったるいかと心配になるけど、途中から無駄な力が抜けてくるので大丈夫です。)
僕の印象に残ったのは次の箇所。アメリカ人のある作家の「サイクリングは瞑想だ」という言葉を紹介した後、次のように言います。

確かに自転車旅では、考えることが多い。もちろん机上で書類でも作るときのように思考作業を行っているわけではないが、一定のペダリングを行いながら、近づいては後ろへ消え去っていく風景のなかで、特有の気分になることは事実だ。それは「たくさん考える」という方向ではなくて、「余分な考えを捨ててゆく」というような方向での思考だと思う。頭脳ではなくて身体で考えるとこうなるだろう、という感じだ。

人には、何かをしながら考える、という場面が何通りかあると思う。
歩きながら考える。
走りながら考える。
これらと比べて、自転車をこぎながら考えるというのは、思考の質がちょっと違ってくるかもしれない。ペダルを踏みながら「余分な考えを捨ててゆく」という感覚はわかる気がする。歩きながらの方が、より深くじっくり考えることになりそうだ。「捨てる」というより「拾う」感じ。走るときの思考は自転車の思考と歩きの思考の中間にあるような気がする。つまり、思考と移動のスピードに相関関係があるということかもしれない。
ベートーヴェンは散歩していて旋律が浮かんでくることがあったという。自転車に乗りながら、あるいは走りながら作曲したした人はいるだろうか。
俳句の場合はどうだろう。歩きながら、あるいは自転車に乗りながら俳句を作れる人はいるのだろうか。僕は自分の部屋でも、喫茶店でも、とにかくじっくりと腰を据えてでないと俳句は作れない。空いている鈍行電車の中というのは、俳句を作るのにいい環境のような気がする。青春18切符を使った吟行というのを一度やってみたい。
(ちなみに、車を運転をしているときはあまり考えないと思う。機械を操作すること、周囲の状況に注意を向けることにほとんど意識を使ってしまう。それはそれで楽しいことなんだけど。)