素材が美味しければ味付けはいらない

エッセイストである著者が、「どうやってエッセイストになったか、またいかにしてエッセイストであり続けながら今日に至っているか」を綴った「自叙伝」。
僕にしては比較的短時間で読んでしまったのは、内容が僕にとって興味深かったということもありますが、著者が次のように語っているところを読むと、文章そのものにも速く読める要素があったのだと気づきます。

 文章は達意を旨とする。つまり、自分の言わんとすることが、はっきり読者に伝わること。それも、できるだけわかりやすくストレートに。長い文章でも、あっという間に読めてしまうのが私の理想である。
 …
 ありきたりの言葉を、ごくふつうに並べて、あたりまえの文章を書く。
 これが私の究極の目標である。

そういえばこの本の場合も、読んでいて文章の存在を意識したということはほとんどなかったように思います。文章表現のレベルで滞ったり、引っかかったりということがほとんどないのです。
一方では、何でもないことを独得の語り口で読ませてしまう、というタイプのエッセイもあるのですが、その場合は文章そのものに強い個性が現れるわけですから、作品に対する読者の好みが分かれてしまうということも起こり得るでしょう。玉村豊男の場合はあくまでも書かれている事柄で読者の興味を引きつけるというタイプのエッセイストということになります。ですから、玉村豊男のこれまでの人生、そして今現在の生活に興味があるという読者にとっては、玉村豊男の書いたものは何でも面白いということになるでしょう。僕は間違いなく、そんな読者の一人です。