認識の対象としての「わたし」

 南木佳士が山に登り始めたというのは、何かで読んで知っていたけれど、既に4年も前にこんな山の紀行文集を出していたとは、迂闊にも最近まで知らなかった。しかも、山登りを題材にした短編集も出していて、文学賞をとり、もう文庫化もされていたなんて‥
 10年ほど前に教科書で出会った短編「ウサギ」をきっかけに読み始めて以来、大好きな作家の一人に数えていたのに、実は僕は南木佳士の熱心な読者だったとは言えないようだ。
 NHKの番組「課外授業 ようこそ先輩」に出演したことも知らず、残念ながら見損なったが、その様子や番組の舞台裏がこの本の最後の「山を下りてから」に書かれている。南木佳士は母校の小学生たちと浅間山に登り、それを材料にして小学生に作文を書かせる。面白いと思ったのは、その時の南木佳士の小学生へのアドバイスだ。

最後の授業で読まれた生徒たちの作文はとても生きいきとしていた。あらかじめ文章のなかに「ぼく、わたし、ぼくたち、わたしたち」は入れないで書いてください、と伝えてあったので、一人ひとりが五感を介して、すなわちからだ全体で得た浅間山の情報が、拙いけれど懸命に表現されていた。

 山を歩いていても、山から下りてきても、「わたし」のからだと心への意識が消えない「私小説」作家である南木佳士が、小学生にいきいきとした作文を書かせるために、「わたし」を使うなと言ったというのが意外だ。しかし、注意して読み返すと、南木佳士の文章に、主語としての「わたし」はどこにも出てこない。頻発するのは括弧付きの「わたし」、認識の対象としての「わたし」なのだ。

それにしても、やや甘くみていた白根御池小屋までの樹林のなかの路は予想外の急登で、これじゃあ笠新道と同じじゃねえかあ、と早くも丸ちゃんの泣きが入る。他者の吐く弱音は「わたし」をすこしだけ楽にさせてくれる。「わたし」なんて、こうして他者との関係性のあいだに浮かんでは消え、状況次第でいかようにも相貌を変える雲みたいなものなのだ、との自覚が湧く。

 「丸ちゃんの吐く弱音でわたしはすこしだけ楽になれた。」とは書かないのが南木佳士だ。そういえば、以前「ウサギ」についてこのブログに書いたときも、「わたし」という主語が現れないことに触れた記憶がある。その時感じた疑問が、今回少し解けてきたような気がする。南木佳士が小学生に与えたアドバイスは、俳句のなかに普通は「わたしは」「僕は」と書かないことと通じるものがあるのではないか。