異界への憧れと憎悪

 
 井上靖の短編集『少年・あかね雲』を読んだ。
 井上靖の幼少年期を描いたもの、とはいえ、実体験をほぼ忠実に再現したと思われるエッセイ風のものから、虚構性の強いものまで、様々である。ほぼすべての作品に共通するのは、山村に暮らす子どもの、大人の世界や都会に対する、憧れと憎悪の入り混じった繊細な心の揺れを見事にすくい上げている点である。
 しろばんばあすなろ物語の読書体験によって文学の世界に引き込まれていった僕にとって、伊豆天城山麓を駆けずり回る子どもたちの世界は、とても懐かしい世界だ。

 「少年」の中の次の一節は、三島市内に立つ文学碑に刻まれている。

三島町へ行くと、道の両側に店舗が立ち並び、町の中央に映画の常設館があって、その前には幡旗(のぼり)が何本かはためいていた。私たち山村の少年たちは、ひとかたまりになり、身を擦り合わせるようにくっつきあって、賑やかな通りを歩いた。

 「白い街道」の中にある「M町」というのも三島市のことだろう。

そのどんどん焼きの朝、清太は床の中で、隣に寝ている姉のれい子に、
「今日は、どんどん焼きだ。姉ちゃんも見に来るか」
と訊いた。すると、れい子は、
「今日は駄目よ。わたしM町へ買いものに行くんだから」
と言った。清太は聞き棄てならないと思った。どんどん焼きも楽しかったが、町へ出掛けていくということは、もっと大きい魅力だった。半島の基部にあるMという小都市へ出掛けるのは、一年に一回か二回しかなかった。
「俺も行きたいな」
「だめ」れい子は真剣な口調で強く言った。

 清太から見れば、町へ買いものに行こうとするれい子はもう既に大人の世界の住人になりつつある存在だ。山村の少年にとって、町へ行くことと大人になることとは、同義なのである。彼らにとって、大人の世界も町も、異界であるという点で同質なのであり、それは覗かずにはいられないほど好奇心をかきたてられる対象であると同時に、石を投げつけてやらなければならぬ憎悪の対象でもあるのだ。