「炉端を出る」生き方

現代文の教科書中にある「コスモポリタニズムの可能性」という評論は、僕にとってはとても興味深く刺激的な文章だ。その出典となっている『境界の現象学』は、今は簡単には手に入りにくい状況のようだが、幸い勤務校の図書室にあったので、読むことができた。

「コスモポリタニズムの可能性」の中で、著者、河野哲也は、狭い地域、家庭に留まって安定性を志向するヘスティア的生き方と、そこから世界に乗り出して経験し、成長していくヘルメス的生き方を対比し、次のように言う。

特定の共同体の中で、その在り方や習俗をそのまま受け入れて生きることは、炉端にとどまることである。特定の場所に生まれて住むことは、人間の生存や社会の紐帯にとって必要ではあるものの、そこにとどまり続けることは万歳三唱するほどの価値もまたない。

「万歳三唱するほどの価値」がないとは、手厳しい。僕は安定志向の強い自分の生き方を強く叱責されたような気がした。

「炉端を出る」ことは経験すること。経験は思考を誘発する。思考は無関係なものに関係性をつける、あるいは関係性を見つけることだ、という説明も面白いと思った。