署名本の話

久しぶりに内田百閒を読んだ。

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どの文章からも百閒随筆の魅力がにじみ出てくる。
「寄贈本」「署名本」を読むと、自分の著書を人に贈るのも簡単な話ではないことがわかる。受け取る側にもいろいろな人間がいるのだ。寄贈本の金額もばかにならないようだ。

私が本を贈呈する時はいつでも署名する。本屋から発送させた時には、その店まで出かけて行つて一冊づつ署名した。自分の著書を人に贈るには、さうするのが当たり前の様に思つてゐる。

内田百閒の署名入りの本というのは、結構出回っているのかもしれない。僕にはそのような本を収集する趣味はないし、内田百閒の作品はなるべく旺文社文庫で読みたいと思っているので(このことは随分前にこのブログに書いた)、内田百閒の署名本に出会う可能性はほとんどないけれど。
古本屋で買った本がたまたま署名本だったということはある。最近では洲之内徹の『絵の中の散歩』に著者の署名があり、寄贈先の名前も書かれていた。それでも値段が特に高いわけではなく、店の外のワゴンに入って売られていた。

これは20年くらい前の話だが、秋元不死男の句集『万座』も、買って帰ってから署名本であることに気づいた。

  クリスマス地に来ちゝはゝ舟を漕ぐ

の句と「不死男」のサインがしたためてある。さほどの希少価値はないのかもしれないが、100円というのは安すぎだろう。