コペル君と「先生」

実は先月、腰痛治療(ヘルニア)のために入院した。手術は初めての経験で不安はあったけれど、とにかく耐え難いほどの激痛が何日も続いていたので、体にメスを入れることを躊躇している場合ではなかった。
入院が決まる前から、もし入院することになったらどの本を持って行こうかということは考えていた。診察のために病院に行った日にも、もしこのまま即入院となったときに、読む本を持っていないと寂しい何時間かを過ごすことになると思い、小さなショルダーバッグには文庫本を一冊入れておいたのだが、実際その通り、辛そうにしている僕を見た担当の先生の「今日から入院できますよ」の一言で、即日入院が決まったのだった。
その文庫本というのは、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)だ。何日も学校を休んでしまい、授業に穴をあけてしまって生徒には申し分けないという思いでいたので、せめて退院後に生徒にすすめられるような本を一冊読もうと選んだのだ。
この作品は現代文の教科書に載っていたことがあり、僕も数十年前に授業で取り上げたことがある。その時に文庫本を買って授業の参考に最初の方は読んでみたのだが、全編通読したことはなかった。最近になって、漫画化されて話題になっていたこともあり、読んでみる気になったのだ。
戦前の作品ゆえ、今の生徒にはピンとこない点も多いだろうが、一方で現代の読者を惹きつけるに十分な魅力をもつ作品であることも確かだ。特に「六 雪の日の出来事」「七 石段の思い出」で、主人公コペル君が友だちを裏切って思い悩み、熱を出すほど苦しむ場面などは、身につまされるような思いで読む若い読者もいるのではないだろうか。

苦しみの中でも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの眼から一番つらい涙をしぼり出すものは、――自分が取りかえしのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。自分の行動を振りかえって見て、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、恐らくはほかにはないだろうと思う。

父親のいないコペル君の精神的な支えである「叔父さん」のこのアドバイスを読んだとき、僕は漱石の「こころ」の最後の場面を思い起こした。「先生」は「遺書」の中で、Kが自殺した現場を目の当たりにした時のことを、こう回想する。

もう取り返しがつかないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯をものすごく照らしました。

こちらの方が、コペル君の場合よりもよほど深刻ではあるけれども。