僕が棒を引いて読んだ所

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批評っていうと、冷静になって、理性的な判断がだいじだとばかり考えて、愛情とか感動なんかはいらないように思っている人は、ぜんぜん、批評については知らない人だね。

本当の批評というものは、創造することだ。否定するんでなくて、つくり出すことだよ。相手をけなしたり、非難したりするのは、否定的なことだろう。それは批評精神には、まったく反することだ。批評をするのは、相手を尊重することだね。

著者が、兄小林秀雄像を描き出したこの著作の中には、小林秀雄が上のように語った批評精神が生きている。高見沢潤子小林秀雄に対する愛と尊敬の念があふれている。
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学生諸君にぜひ読んで欲しいのが、次の一節。デカルトでなくても、現代文の教科書の中の評論や小説を読むときに、実践してもらいたい。

デカルトはね、“わたしの本は、少なくとも四度は読め”っていってるよ。最初は、わかっても、わからなくても、しんぼうして終りまで読み通すこと、それでぼんやりと、どんなことが書かれているかがわかったら、こんどはもう一度、初めから読みなおし、わからないところに棒をひきながら読む。そのつぎは棒のひいてあるところを考えながら、念を入れて読みなおす。そしてもう一度。とにかく、四度は読まなくちゃわからないし、読んだとことにならない、といってる。

引くのは「線」でなくて「棒」。そうか、このブログも「僕が棒を引いて読んだ所」でもよかったのかな。生徒にも「ここは大事なところだから棒を引いておけよ」と言うことにしようか。
ところで、この本は随分前に古本屋で100円で買ったもの。前の所有者は、気になるところに「棒」でなくて、カギ括弧を付ける主義だったらしい。僕だったらまず線を引くことはないだろう、という部分に付いている。古本を買うと、こういうことはよくある。本を読んで感じ取ることは人さまざまなんだな、とそのたびに思う。