今週から授業で取りあげようとしている現代文の教材「世界はいま―多文化世界の構築」は青木保の『多文化世界』(岩波新書)の序章からの抜粋だ。
この著作が世に出たのは2003年。それ以後、今日まで、世界には様々な動きがあった。もはやこの著作が古びてしまった観があるのは否めない。
クリントン前大統領は日本でもテレビに出演して日本の学生や一般の人たちの質問を受けたことがあります。あのような態度を見ると、こうした指導者のいるアメリカは信頼できるんだという気持ちがどこかで生まれるとも言えるでしょう。
こうした部分を読むと、あの時代から世界は遠く隔たってしまったのだと思わざるを得ない。
民主主義は死んだといわれ、強い指導者が待望されるようになった。イスラム国が世界を震撼させ、テロの危険に常に脅かされるようになったのもこの著作以後のこと。そして今、世界は新型コロナウイルスに翻弄されている。
しかし、この著作において著者が理想として掲げる世界像(=多文化世界)に修正が必要であるとは思わない。
「多文化世界」とは、単に世界にはいろいろな文化があって、それが重要だ、といった認識にとどまるものではありません。それぞれの文化が、文化度を高める積極的な努力をすることによって、一つのグローバルな世界を構築していくという意思の表れとなる世界が、「多文化世界」です。
世界は大きく様変わりしてしまったが、「多文化世界」という看板を下ろす必要はない。しかし、その理想の実現への道筋は2003年当時と比べて一層厳しくなってしまっていると言わざるを得ないのではないか。