商品としての絵画

池田満寿夫美の値段』を読んだ。
タイトル通りの内容。値段がつかない美術品はない。もちろん、美術作品の値段はその芸術的な評価と単純に比例して高かったり低かったりするわけではない。そのからくりが興味深い。

絵画にとって、画商の果たす役割の極めて大きいこと、絵の売買は作者と直接ではなく画商を介して行うべきだというのは、先に読んだ窪島誠一郎も『絵をみるヒント』の中で繰り返していたことで、立場の異なる二人が同じことを主張しているのは面白いと思った。

次に引用するような、絵に対する日本人独特の好尚に関しては、筆者は現代美術の担い手の一人として、大いに不満を感じているような書きぶりである。

日本人は、絵というと、風景でも静物でも人物でも、とにかく対象を写した自然主義的な絵であり、リアリズムであり、なかでも印象派風の絵のことを思うに違いない。決して、何が描いてあるか分からないような抽象的な絵を誰も思い浮かべることはないだろう。
どうしてかと言うと、日本人は印象派の絵を数多く見なれているからであり、見なれているということは、それだけ印象派の、あるいは印象派風の絵がたくさんあるからである。印象派の絵というのは多くの人にとって絵というものの普遍的様式にまでなっている。

日本にとって現代美術はいまでにピカソマチスで、やっとカンディンスキーやクレーが購入されはじめたが、モンドリアンは一、二点しかはいっていない。戦後の世界を席巻したアメリカの現代美術を日本の美術館はまったく無視してきたのだ。

世界で今一番魅力のあるのが現代美術である。これほど多様で自由だった時はないからだ。しかし、日本のマスメディアは、現代美術を積極的に取りあげようとしない。テレビの美術番組も相変わらず印象派とエコール・ド・パリばかりで、せいぜいピカソ止まりだ。だから、現代美術と名のつく展覧会は美術館でもカンコ鳥が鳴いている。

初版発行が1990年。既に30年が経過した現在の状況は、ここに書かれているものと多少は変わっている可能性はある。相変わらず印象派が大人気なのは、今でも変わらないようだけれど。