情動の共有としてのコミュニケーション

 大井玄の『「痴呆老人」は何を見ているか』は、読み応えのある、良書だ。もちろん、高校生にもおススメ。 

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

  • 作者:大井 玄
  • 発売日: 2008/01/01
  • メディア: 新書
 

 今年度、授業で使う現代文の問題集に、この本の第三章「コミュニケーションという方法論」を出典とする問題が載っていたのが、この本を読もうと思ったきっかけ。
 多くのことを教えられたが、中でも特に記憶にとどめておきたいのが次の二点。
 
 言葉には「情報」を伝える働きとともに、喜び、感謝、親愛、など「情動」を生み出す働きがある。コミュニケーションを成立させるために、情報の伝達よりも情動の共有が重要な場合もある。アルツハイマー認知症の人同士のおしゃべりが快調に進んでいる。しかし、傍で聞いていると互いの言葉のやり取りはちぐはぐで、論理のつながりは見い出せない。「偽会話」というのだそうだが、情動が共有されていることが喜びとなり、心理療法的な効果が生まれるのだという。
 
 もう一点。異なる文化・風土が、異なる「自己」の在り方を生み出す。日本人は、常に他者を意識し、他者との「つながり」において自己をとらえる。アメリカ人は、自己を自立し、利己的に判断・行動する主体としてとらえる。前者は、痴呆になった時に他者に迷惑をかけることを恐れ、後者は老いて自立性を失うことを恐れる。稲作文化から生まれた「つながり」の視点の欠落が、現代社会の抱える多くの問題につながっている。