年輪の温もり

 冨田民人の詩集『中有(そら)の樹』を読んだ。

f:id:mf-fagott:20200326132752p:plain


 この詩集の読者は、まず自分が過去に連れていかれることを感じるだろう。作者が作品中に登場させるものたちの多くは、長い時間の堆積物としてそこにある、あるいは読者を過去へと誘うものとして存在する。


 「道祖神」、「相模国分寺の遺跡」、「ちんちん電車」、「群れる爆撃機」、「新編相模匡風土記稿」、「沖縄」、「おはじき」…


 「昼の月」という詩では、子と父がキャッチボールする。子の投げた球は空間の割れ目から消える。消えた球の行く先は、過去である。球の行方を追いかけようとする者は、過去の時空へと連れ出される。


 作品中に登場する巨木たちもまた、数百年、千年という長大な時の重さをその中に封じ込めている。作者の求める詩は、その巨木たちの、年輪の「温もり」の中にある。


 しかし、作者はただ過去への郷愁に浸っているだけなのではない。詩集全体から感じられるのは、現在の自らの生を支えるものとしての過去に対する慈しみであり、感謝である。そしてその思いは、原発などの問題を抱える現代への怒り、未来への憂いにもつながっているようだ。