関根正二の自画像

 鎌倉の「関根正二展」を観に行ったのは2月13日、前期展示の期間中だった。展示替えした後にもう一度行きたいと思っていたのに、休館になってしまった。出品リストを見ると、前期後期で随分たくさんの作品が入れ替わっている。そうと知ると、今回の新型コロナ騒ぎがますます恨めしい。
f:id:mf-fagott:20200314234647j:plain 

 窪島誠一郎わが愛する夭折画家』(講談社現代新書)を読んだ。取り上げられている6人の夭折画家の中でも関根正二が最も短命だ。20年と2か月の人生。その中であれだけの作品を残した。なんと凝縮された人生であろう。
 僕が印象深く思った作品の一つが、「自画像(1916年)」だったが、『わが愛する…』の筆者にとってもそうであったらしく、昭和42年、鎌倉の近代美術館で関根正二の作品と初めて出会った時のことを次のように書いている。

最も心にのこった作品は、黒インクでかかれたペン・デッサン「自画像」である。関根正二の代表作といわれる油彩画の「信仰の悲しみ」や「姉妹」「三星」、あるいは「少年」「チューリップ」といった作品にもひかれたが、ふしぎとその小さなデッサン「自画像」が私の心を一番つよくとらえた。

  筆者は、「まるですべての時間を停止させたような異様な緊張感があふれている」、「凝縮した」「スキのない」自画像を見ていると、「その場からにげだしたくなるようなふしぎな威圧感におそわれるのである」と記している。僕の受けた印象も全く同じだった。まだ17歳なのである。それが、こちらに向かって「お前は自分に厳しく生きているか?」と問いかけてくるようで、自分の生き方を見つめ直さずにはいられなくなるのだ。
 窪島は、後に自分の画廊を持ち、このデッサンを何とか手に入れたいと思う。もちろん、それは簡単に実現する話ではないのだが… その後のいきさつは、この本の中でも最も読者を引き込むところだろう。
 この「自画像」は、今は長野県信濃美術館の所有となっているが、それが今回の展覧会のために、窪島が関根正二と最初に出会った鎌倉の美術館に貸し出された。後期展示の方だったら、僕の目に触れることはなかったというわけだ。