振り子は先に進まない?

今度は、こんな本、読んだよ。

小針誠『アクティブラーニング―学校教育の理想と現実』(講談社現代新書) 

 内容を大まかにまとめれば、前半は広義のアクティブラーニング(生徒主体の、活動を重視した学び)に焦点を当てた近代日本の教育史。後半は、教育施策としてのアクティブラーニング批判、ということになるかな。
 前半の、戦後のカリキュラム改革の振り子運動、つまり教師主導の知識重視の教育(詰め込み教育)と生徒主体の活動や考える力を重視した教育(ゆとり教育)の間の往復運動を振り返っている部分だけど、これって読んでて何だか気が滅入るな。だって、この往復運動によって、何が前進したんだろうって考えてみても、何も思いつかない。空しくなっちゃうよ。カリキュラムがどっちに転ぼうと、40人もの生徒相手に授業することの難しさは変わらないんだよ。クラスの人数を少なくすることが何よりも授業の質の向上につながるってことを、僕は身をもって知っているんだけど、国はそうする気がないんだね。


 最後の、著者によるアクティブラーニング批判には、なるほどと思う部分もあるよ。

政府見解と対立する内容が教育現場から排除され、そのカリキュラムとアクティブラーニングとが無批判に結びついたとき、全体主義が発生しないとはかぎりません。(247㌻)

という指摘を、一笑に付すわけにはいかないと思う。そうした動きには常に警戒していかなくてはならないだろうね。その他にも的を射た批判がいくつか見られる。しかし、アクティブラーニングの負の側面ばかりに目を向けないで、建設的な議論もした方がいいと思うな。
 基礎的な知識を習得した後に初めてアクティブラーニングが可能になるのではなく、その基礎的知識を習得するためにこそアクティブラーニングを授業に取り入れることが必要なんじゃないか、なんてことを、この本を読みながら考えたんだけどね。今度また、生ビール飲みながら、その辺の話もしたいな。でも、コロナウイルスがおとなしくなってくれないと、居酒屋にも行けないね。