「書く」教育の大切さ

鳥飼玖美子苅谷夏子苅谷剛彦ことばの教育を問いなおす―国語・英語の現在と未来』(ちくま新書)を読んだ。 

「話す」「聞く」、すなわち口頭でのコミュニケーションの力を延ばすことを重視しようとしている昨今の風潮の中にあって、「書く」ことの教育の大切さを強調している点が、印象に残った。

書くという行為には、日本語であれ英語であれ、文章を文字として表現する以上のことが含まれています。情報や知識であれ、感情であれ、何かの描写であれ、書かれた文字を通して、それを読む人々に伝える「内容」をどのように言葉にのせるか、ということと、そもそもその「内容」の中身を言葉としてどのように思いつくか、考えつくかということの両方を含むのです。内容と表現とは分かちがたく結びついています。その両方を私たちは、ことばの力を借りて考えているのです。

 私たちがそうしたことばの力に頼っていることは、口語でのコミュニケーションと比べ、書くときにより一層意識されます。(228㌻)

ところで、苅谷剛彦によって書かれた第5章中の「比喩による理解と帰納」の項(116㌻~119㌻)は、大村はまの実践を理論化して示すのではなく、具体例を挙げるのでもなく、比喩を多用してその核心を「熱を込めて」伝えようとして成功していない苅谷夏子執筆部分に対するかなり手厳しい批判として書かれているとも読める。