光の溢れる世界

 杉山文子氏の『百年のキリム』を楽しく読んだ。

百年のキリム

百年のキリム

窓一面桜や家賃八万円
ハングルの表示加はる春の駅
 
 最初のページに掲げられた二句。次のページは、「バス停の三色の椅子囀れり」「朝方の短き夢やヒヤシンス」と続く。西脇順三郎の『ambarualia』が「(覆された宝石)のやうな朝」で始まるように、この句集も冒頭からいきなり朝の眩しい光が読者の目を射るように差し込む。そしてこの明るい光は、最後までこの句集を支配する。

溢るるほど菫咲きたり会ひたいよ
梅は今綻ぶところ君生れて
追ひかけて言葉補ふ花大根

 何の種類であれ、花は単にその美しさを鑑賞する対象としてのみあるのではない。花は人懐かしさを呼び起こす。と同時に、花は人の世を明るく照らし出すために光を振りまいている。

藤の花三日一人でゐて疲れ

 だれにも会わず、三日間という時間があっという間に過ぎ去ってしまった。しかし、無為な時を過ごしたのではない。重く垂れさがる藤の花が三日間の充実を静かに語っている。

火星見て菜の花畑に猫とゐる
梅雨晴れて卵に地中海の塩

 火星、菜の花、猫。梅雨晴れ、卵、地中海の塩。普段、互いに遠くにあると思われているもの同士が一つの画面に収まって、新鮮な調和を奏でている。

長命と占はれたり花の夜
流星やどこの街でも生きられる
老ゆるほど自由になりぬ花筏

 これらの句に見られる向日性を、僕はとても好ましく感じる。著者のポジティブな生き方、ぜひ学びたい。

花通草斜面で結ぶ靴の紐
春満月空港までの切符買ふ
道を譲れば踊りに急ぐ母なりき
芒原抜けて乾きし体かな
新聞で肩叩かるる一の酉
木瓜の蕾のやうな嚏かな
家といふびつくり箱に春の雨