印象派―権威からの自由

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いいたします

印象派 〔新版〕 (文庫クセジュ)

印象派 〔新版〕 (文庫クセジュ)

 年内に読み終えるはずだったのが、年を越してしまった。年末は何だかんだと忙しいということもあったが、この本が図版が少なく、そのために題名だけでは思い出せない絵を、あれこれ画集を引っ張り出してきて確認するという手間がかかり、読み終えるのに時間を要してしまったのだ。この本は印象派を概観するのにはとてもよく書けた本だと思うのだが、図版をもっとたくさん載せてくれるとありがたい。
 最近は美術館に足を運ぶことが増え、とりわけ昨年は印象派とその周辺の展覧会を見ることが多かった。「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」「新印象派展」のことは、昨年このブログに書いたが、その後、

ブリジストン美術館コレクション展」
「モネ展」
アルフレッド・シスレー展」
ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展」

を観た。今年も、可能な限り、いろいろな展覧会に行ってみたいと思う。特に、印象派の作品を多く観たい。もっとも、「印象派」と言っても何を指すのか、曖昧ではある。「印象派」という言葉の由来を知り、個々の画家たちの際立った個性の違いに目を凝らせば、「印象派」などという言葉を軽々に使うわけにはいかないという思いにとらわれてしまう。

…これら多様な画家たちすべてに共通するひとつの美術様式を定義することはほとんど不可能である。彼らがひとつのグループを形成したのは、権威や因習に対する独立不羈の精神ゆえであり、また現代の生活情景やその背景を、とりわけ光の効果に注意を払いながら、表現したいという思いを共有していたためである。我らが画家たちは、あまりに型に嵌ったアカデミックな職人芸を棄て、新しい自由な技法を案出したのであり、しかもそれが、一過性の流行として終わらずに、見る者の心をますますとらえるようになったのである。(p.66)

 そういえば、先日鎌倉近代美術館に行ったとき、佐伯祐三についての解説に書かれていたことが妙に頭に残っている。渡仏した佐伯がヴラマンクに会いに行った際、その作品を観たヴラマンクに「このアカデミズムめ!」と一喝されたという話だ。それから佐伯は発奮して、独自のスタイルを作りあげてゆく。

 芸術表現とは、困難と闘いながら権威や因習から自由になることなのか、と思う。