響きあう写真と文章

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

「聴く」ことの力―臨床哲学試論

 鷲田清一のこの本との出会いは、「植田正治のつくりかた」を開催中の東京ステーションギャラリーでのことだ。ミュージアムショップで植田正治の写真集と並べて置かれているこの本が、僕の目を引いた。『「聞く」ことの力』という題名にも惹かれたが、植田正治の写真集としても魅力的だった。
 植田正治の写真は、本の内容と直接的には関わらない。鷲田も植田の写真に言及することはない。それでも、写真と文章はどこかで響き合っていると感じる。その理由を言葉でうまく説明することは、僕にはできない。ただ、その写真がそこにあることが「しっくりしている」と感じるだけだ。写真がそこにあることによって、文字列がより生き生きとしたものになり、隣に文章があることで、写真に新しい意味が吹き込まれて来るように感じる、ということだ。
 もしかしたら、植田の写真と鷲田の文章は、鷲田の語る「ケアする者」と「ケアされる者」の関係に近いのかもしれない。「迎える者が迎えのなかで迎えられる者となる」(p.239)という関係だ。
 鷲田は「あとがき」で、

連載を始めるにあたってのわたしの不遜ともいえる希望は、わが敬愛する写真家・植田正治さんが奏でる音楽のような写真たちとともに、言葉を、論理を、そして想像を、紡ぎだしていきたいということであった。…執筆の過程で言葉を書き継げぬこともしばしあったが、そのとき、植田さんのあの写真の横に文章を添えたいという一心でかろうじて言葉を絞りだしえたことが何度かある。(p.269)

と語っている。鷲田はこの文章執筆の過程において、植田という「客」を迎え入れ、その写真の声を「聴く」ことによって自らの文章を変容させるという「臨床」の場に立ち会っていたのではないか。


東京ステーションギャラリー「生誕100年!植田正治のつくりかた」
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/