古書店の仕事

 仕事で関内に行ったついでに、『ブルータス』で昨日知ったばかりの「中島古書店」に寄ってみた。品揃えは量、質ともに今一つ物足りない感じ。どういう客を狙ったどういう書店にしたいのか、まだ方向性も定まっていない印象なのは、開店してまだ間がないから仕方がないのだろうが、若い店主の意気込みは伝わってくる。時がたてば、だんだん色も出てくるだろう。馬車道周辺は僕の好きな場所で、ぶらぶら歩くことも多いので、ぜひこういう書店にも頑張ってもらいたい。

 今回僕が買ったのは、戦前に発行された新潮文庫で、田部重治『山に入る心』、500円。字は小さいし、旧字で読みにくい。もちろん文章は古臭い。それでも魅力を感じさせるのは、筆者が山道をたどり、峠を越え新しい景色が広がるのを眼にした時の心のときめきが伝わってくるからだろうか。

 山頂をのみ追ふ人間が、毎も山のみでは満足が出来なくなり、人間に、自然の間にすむ人間に、感興を見出し始める時に、峠が好きになつて来る。絶頂ばかりを喜び、峻嶮な山あるきをのみ讃美する心持も、やがて歴史や人文に嗜好を感ずる時節が来ると、人間と人間とを結ぶ動脈となつて居る峠に興味を感ずるに至るのは当然のことであらう。

 峠は人里と人里を結ぶもの故、それを行く人は、絶えず峠の向うの自然を考ふると共に、そこの部落がどう云ふ種類のものであらうかと云ふことを頭に浮べて胸をとどろかせる。山を越えての彼方の部落の温泉が、如何にわたしたちを待つてゐるだろうかと云ふ感じが、峠を通る人間に取つて、最も楽しいものである。そしてその温泉宿が、現代的でなくて、素朴的で感じがよく、或はそこには温泉がなくとも、麓の宿が小綺麗で素朴的であることが、最も峠を越える人間を喜ばせるものでなければならない。(「峠あるき」より)

 こうして打ち込んだものを読んでみると、不思議なもので、ざらざらした紙の上に読みにくい活字で印刷されたものが持つ独特な魅力が、すっかり消されてしまっていることに気づく。なんだか別の文章を読んでいるような気すらする。
 電子書籍の利用が一般化するであろうこれからの時代、紙の本の魅力を伝えるのが古書店の大事な仕事ということになるのだろう。