日本語の歴史の中で、現在は特異な状況下にあるか?

『百年前の日本語』によると、明治期の日本語の表記の仕方には「豊富な選択肢があった」。
たとえば、明治10年に横浜で出版された『新約聖書約翰書』(しんやくせいしょヨハネしょ)は、
「わかもの」に「壮者」
「いつはり」に「虚仮」
「たから」に「資財」
「すこやか」に「康強」
という漢字をあてている。
また、明治20年頃、大阪で発売された、中村芳松『緑林時雨の風説』(みどりのはやししぐれのとりさた)では、
「ふだん」に「平生」、「平常」
「したく」に「準備」
「きれい」に「清楚」
「せわ」に「庇護」、「周全」
「しやうち(承知)」に「承諾」、「承引」
という漢字をあてている。
明治21年に出版された『千代の礎』という本の中では、「こども」を「小兒」、「幼兒」、「童兒」、「童子」の4通りの書き方をしており、別の文献では「小供」、「子共」、「児」を「こども」と読ませているという例もあるという。このように同じ語に様々な漢字をあてて表記する例は、当時の文献にいくらでもみられるのだという。
『百年前の日本語』の筆者、今野信二氏はこのような「明治期の日本語の多様性」と比べて、「現代の日本語は、一つの語はできるだけ一つの書き方にしようとしている、そのような『方向』にある、と稿者には思われる」と言い、さらに次のように述べている。

少なくとも表記に関していえば、現代のような状態になったのは、日本語の長い歴史の中で、ここ百年ぐらいの間であり、それまでは、「揺れ」の時期がずっと続いていた。現在が日本語の歴史の中ではむしろ特異な状況下にあるのだが、現代に生きるわたしたちには、それがわかりにくい。そして、例えば一つの語に幾つもの書き方があった明治期が奇異なものとみえる。(p.70)

百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)

百年前の日本語――書きことばが揺れた時代 (岩波新書)

確かに、現在の日本では「わかもの(若者)」を「壮者」と書くのは普通ではないし、また学校の漢字のテストで「すこやか(健やか)」を「康強」などと書いたら○はもらえない。意思疎通、情報伝達の道具としての「書き言葉」に「揺れ」があったのでは当然不都合が生じるから、それを一つの書き方に収斂させようとする現在の流れが間違っているとは言えないだろう。
しかし、一方で明治期のような「揺れ」をあえて「豊かさ」と言ってしまいたい気持ちも打ち消すことはできない。
実は、今でも積極的に上に挙げたような漢字の使い方をしている人はいる。先日、必要があって、今人気のJポップグループいきものがかりの歌の歌詞を調べていたら、こんな例が見つかった。


卒業のときが来て君は故郷(まち)を出た
咲き誇る明日(みらい)はあたしを焦らせて(「SAKURA」)


わからずやの感性(こころ)呼び覚ませ
だいすきなキミに希望(ひかり)を届けたい
音楽(ことば)を聴かせたい
さがしものは現実(ここ)でみつけるよ
だいすきなキミに尊厳(ほこり)を届けたい(「NEW WORLD MUSIC」)


未知なる世界の 遊迷(ゆめ)から目覚めて(「ブルーバード」)


願いは 想いは 揺るぎない閃光(ことば)を伝えていくから
願いは 想いは 終わらない生命(せかい)を夢見てしまうから(「プラネタリウム」)


火傷(きず)つくまま うなづいたね
意志(おもむ)くまま 手を伸ばすよ(「ホタルノヒカリ」)


作詞者はいずれも同グループのメンバーの一人、水野良樹。面白い発想を持った人だなと思った。「希望」を「のぞみ」、「生命」を「いのち」と読ませるのはよくありそうだけれど、この人のはちょっと違う。でも、よく探せば、このような漢字の使い手は決して珍しいわけではないのかもしれない。
最後に忘れずに言っておかなけれはならないのは、今回例に挙げたような標準的ではない表記の仕方(逆から言えば漢字の特殊な読み方)を可能にしているのは、「振り仮名」の存在であるということだ。振り仮名がなかったら、表記の「揺れ」を「豊かさ」などとのんきに言ってはいられないだろう。先人の知恵に感謝したい。