平凡な言葉

もっとも気になっている現役俳人の一人、小川軽舟の句が読みたくて購入。

小川軽舟―ベスト100 (シリーズ自句自解 1)

小川軽舟―ベスト100 (シリーズ自句自解 1)

かもしかの睫毛冰れり空木岳


深田久弥の『日本百名山』の空木岳の項には「登山者というロマンティストは美しい山の名に惹かれる」とある。私も惹かれながら登る機会を逸した遥かな山である。

確かに美しい山の名というのはある。そして空木岳というのも、なるほどその中の一つだと思う。僕も(30年以上も前の話だが)、ロープウエイを使って千丈敷カールまで登り、木曽駒ガ岳、宝剣岳あたりの稜線を歩いたことはあるが、空木岳までは足をのばさなかった。いつか行ってみたい山である。
ところで、「自解」の後半には、

憧れの山とかもしかの話が結びついてこの句になった。つまり、まったくの想像の句である。

とある。想像の句というのはあってよいが、こんなふうに正直に打ち明けられてしまうと少々興ざめではある。読者としては、「自解」など読まずに、山で睫毛を冰らせたかもしかと遭遇した驚きがそのまま形をなした句として、大切に記憶しておきたかったと思う。
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平凡な言葉かがやくはこべかな


俳句を作るようになって、言葉というものは、それ自体がきらびやかだからといって必ずしも輝くものではないと知った。むしろ平凡だからこそ輝かせてやることができる。
なぜ、はこべなのか。そこは山本健吉が「挨拶と滑稽」で言った「会得の微笑」で読者に受け容れてもらうしかない。

「会得の微笑」で受け入れろと言われても、はて「会得の微笑」とは何であったか、記憶は曖昧だ。そこで久々に「挨拶と滑稽」をひもといてみると、芭蕉の「古池や」の句を論じて、山本健吉は次のように言っていた。

この句を初めて聞かされたとき、誰しも何か会得の微笑といったものを洩らしたことであろう。今日僕等の俳句についての理解は、すべて古池の理解に始まるのである。古池の句から僕等が始めてある感銘を受けた瞬間、僕等は疑いもなくこれが俳句だという認識に到達したはずなのである。芭蕉の最傑作というわけでもないこの一句が古来あれほどまでに喧伝されたのは、それが俳句の典型的な性格を具現しており、俳句についての初歩的な、だがもっとも根柢的な認識に、それが万人を導いたからである。(中略)この会得の微笑を解明することによって、おそらく俳句の根本性格は説明し尽されるだろう。だが本当に誰もそんなことをやった者はいない。寂とか栞とか俳味とかいろいろに言ってみたが、結局それは模糊たるままに止まった。とはいえ、大衆は直感的に俳句固有の性格をちゃんと掴んでいるのだ。

小川軽舟が自解で言わんとするのは、下五に「はこべかな」と置いたことの妥当性を自分でも「説明」することはできない、そこは「直感的」に納得してほしい、ということだろう。ところが、上の引用からわかる通り、山本健吉の「会得の微笑」の「会得」とは、「俳句の根本性格」「俳句固有の性格」の理解を意味するのだから、厳密に言えば、山本健吉の「会得の微笑」と小川軽舟のそれとの間には見過ごせないずれがある。しかしまあ、ここではそんなかたいことは言わず、「善(よし)」と微笑することにしよう。
同じことは、先ほどの「空木岳」の句についても言うことができる。どうせ想像の句であるならば、いっそ「駒ケ岳」ではどうか、いや「八ヶ岳」もある「薬師岳」もあると、いろいろ差し替えてみるのだが、やはり「空木岳」以外にないと納得してしまうのだから、不思議なものだ。
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秋の空釘打ちきつて板ひびく

この句を読んで、3年ほど前に作った拙句「釘叩く最後の一打冬に入る」を思い出した。これは、縁あって建築家の方たちと始めた句会の第一回目に投句した中の一句で、自分で出した「釘」の兼題で作ったもの。参加メンバーを意識して考えた題で、第二回以降も「柱」、「窓」など住宅建築に関係する題が続いた。句会はその後、一回目の題にちなんで「釘ん句会」と命名され、今でも続いている。