長い距離を走り続けることは、人生そのものである。

旅行に持っていく本をどうするかはいつでも迷うところだが、今回の三泊の北海道旅行には村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』とすんなり決まった。なぜこの本になったかと言うと、近いうちに読もうと思って机の上に置いてある何冊かの本の中で、これが分量的にちょうど良さそうだったから、というだけの理由だが、結果的にこれはちょうど良い選択だった。我が家に近づく電車の中でちょうど読み終わったというだけでなく、内容的にも重すぎず軽すぎずで、旅の気分にしっくりなじんでくれた。
僕は毎日、前の晩に飲んだビール分のカロリーを消費するために(というより、その日の晩のビールをおいしくいただくために)なるべく体を動かして心拍数を上げる時間を作るように心がけている。今は片道25分の自転車通勤をしているので、それ以上特に何もしなくても健康維持のための運動量はほぼ確保できていると思うけれど、それでもたまには家の周りをジョギングして汗を流すこともある。そもそも僕は走ることがどちらかと言うと好きな方なのだ。職場の仲間に誘われて市民マラソンの大会(と言っても10kmだが)に出たこともあるし、駅伝大会に教職員チームの一員として出場したこともある。
だから、村上春樹のこの本の題名はとても僕の興味をひいた。そして読んでみると、この本は期待以上に僕を楽しませてくれた。
村上春樹がこの本で語るのはもちろん「走ること」であるけれども、それは「人生」とか「仕事」とかを語ることにも繋がってくる。実はそれは当然のことなのである。「走ること(とりわけ長い距離を長い時間をかけて走ること)」は「哲学」することでもあるのだから、それは必然的に人のあらゆる営みと根っこの部分で繋がっているのだ。それゆえ「走る」ことを語るこの本は、「人生論」の相貌を帯びてくる。「走る」という行為を通して具体的に語られる人生論は、きわめてわかりやすいし、実践的だ。

大事なのは時間と競争をすることではない。どれくらいの充足感を持って42キロを走り終えられるか、どれくらい自分自身を楽しむことができるか、おそらくそれが、これから先より大きな意味をもってくることになるだろう。数字に表れないものを僕は楽しみ、評価していくことになるだろう。

この「42キロを走り終えられる」は「生きることができる」と置き換えて読むことができる。しばしば人生は「旅」に喩えられるが、人生は「走ること」に喩えることもできるというわけだ。この本が旅の気分にしっくりとなじんだのも、故あることだったと言えそうだ。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)