子供たちの晩餐、その後

江國香織の短編、「子供たちの晩餐」は面白い教材だ。

つめたいよるに (新潮文庫)

つめたいよるに (新潮文庫)

ママとパパの留守に、4人の子供たちはいつも「完璧」なママの夕飯を庭に穴を掘って捨て、「憧れの食べ物」を食べたいだけ食べるという「計画」を実行する。カップラーメンやら梅ジャムやら… それらの禁止された食べ物を内緒で食べることは、彼らにはどきどきするほどスリリングだ。
作戦がうまくいってとても満足な詩穂ちゃんは、ベッドの中でこう思う。

もうすぐパパとママが帰ってくる。私たちの髪をなでながら、ママはきっと訊くだろう。ごはんはちゃんと食べたの、って。私たちはにっこり笑う。うん、食べたわ。とってもおいしかった。

さて、パパとママの帰宅後、詩穂ちゃんが想像するように事は運ぶのだろうか?
「子供たちの晩餐」のその後を生徒たちに書かせてみる。するといろいろなパターンの考え方が出てくる。
1、ママにバレて、叱られる。
2、ママにバレるが、叱られはしない。
3、ママにバレない。でも、二度とこのような悪さはしない。
4、ママにはバレない。子供たちはその後もときどき同じような悪さをしでかす。
だいたい、以上のようなパターンだが、2のように考える生徒が多いようだ。中には、子供たちを叱るどころか、ママの方が自分の料理に自信をなくしてしまう、と書いた生徒もいた。露見した悪事をめぐって夫婦の教育方針の違いが表面化して、二人の間に亀裂が入ると書いた生徒もいた。
いずれにしろ、子供たちの計画はうまくいったように見えるが、匂いが残っていたり、ゴミが完全には処分できなかったりで、両親にはばれてしまうと考える生徒が多数派だ。確かに、9歳から4歳の子供たちが完全犯罪を遂行するのは難しい。
でも、僕の読み方はちょっと違う。それを授業の最後に紹介する。
子供たちの計画の実行中、空にはずっと月がかかっている。作品のしめくくりは次のようだ。

窓の外には大きなお月様。床一面、月明かりに濡れている。

そこで、黒板に大きな円を書き、この「お月様」は、どんな顔をしていると思うか、生徒に尋ねる。
笑っているか、泣いているか、怒っているか?
そう、月は笑っている(と言いながら、円の中に笑っている目と口を描く。)
じゃあ、この顔は誰かの顔に見えてこないか?
そう、ママの顔。
ママは子供たちのやっていることを、こうして空からにこにこしながら見ていたんだよ。君たちはゴミとか匂いとかでママにバレると考えたようだけど、そもそも「ふわふわのミルクせんべい」だの「生クリームいっぱいのジャンボシュークリーム」だのをママに見つからないように隠しておけると思う? ママは子供たちのたくらみに準備の段階で気付いていた。ママとパパはどこに出かけたかはわからないけど、むしろ子供たちに計画を実行させるためにわざと外出したんだ。それをさせることも、子供たちにとってはいい経験だと、賢い夫婦は考えた。二人でお茶でも飲みながら、「今頃あいつら、カップラーメン食ってるんだろうな」なんて、笑ってたよ、きっと。もちろん、家に帰ってからも、子供たちの「晩餐」には気付かないふりを続けるさ。
あっ、これ、僕の個人的な考えだから、そんなの納得できないっていう人がいたって構わないからね。