背景の絵が大事

恋心を伝えようと思ったら、ただ「あなたが好き」とか「君って、かわいいね」とか言っても駄目なんだよ。背景に「絵」がないと。それは千年以上も昔からそうなんだ。

夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ

万葉集」のこの歌は、あなたへの想いを心に秘めているのは辛いわ、というだけの内容の歌で、前半がその気持ちを効果的に伝えるための背景になっている。異性を好きになる気持ちなんていつの時代でもみんな同じようなもので、一言で言ってしまえば「あなたが好き」「君が好き」で済んでしまうんだけど、それをより効果的に伝えるために人は昔からいろいろなイメージの表現を工夫して来たんだ。「姫百合の」までの前半部分は「序詞」と呼ばれ、本題を導き出すための前置きとも説明されるけど、じつはこの前置きの方が歌を特徴づけていると言える。
君たちがよく知っている今のポップスだって同じだよ。

雨は夜更けすぎに 雪へと変わるだろう

というのは歌の背景、つまりさっきの和歌で言えば「序詞」に当たるわけで、次に続く

きっと君は来ない 一人きりのクリスマス・イヴ

の部分が歌い手が訴えたい部分、つまり「君と会いたい、君が好きだ」という気持ちをあらわしている部分。だからこの部分だけあれば気持ちは表現できるわけだけど、それじゃ歌としてつまらないだろ。むしろこの歌を魅力的にしているのは、雨が雪に変わるとか「銀色のきらめき」いうイメージの方だと思わないか? そんな美しいイメージを背景にして恋心を歌っているから、インパクトも強いわけだ。こういう歌の手法は実は『万葉集』の時代から綿々と引き継がれているんだね。



…『伊勢物語』の「筒井筒」の授業が終わり、和歌の表現技法の説明が発展してこんな話になったのですが、『万葉集』の和歌と山下達郎の歌詞を平安文学でわかる恋の法則 (ちくまプリマー新書)比べて共通点に気付かせるというアイデアは、『平安文学でわかる恋の法則』(高木和子著、ちくまプリマー新書の「第一部 憧れの人にアプローチ、第三章 恋の和歌の作り方」からそっくりお借りしました。
この本、実に面白い。『伊勢物語』や『源氏物語』の授業をする際にはとても強力な味方になってくれます。もちろん、高校生にもお勧めですが、「第十二章 老いらくの恋はいくつまで?」に興味津津となるのは、若い人よりも、むしろ僕のような中年男でしょう、きっと…